ドショートのプレイ
https://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2020/05/11/103234
先週はチップリからのプレイを解説しました。
今日は一転して、ドショートからのプレイを解説しようと思います。これ、チップリのプレイ以上に相当多くの人が勘違いしていると感じます。
どんなにチップが増えるようなプレイをしても、オールイン負けしたりしてドショートになることはトーナメントプレーヤーなら避けられません。
では、9人テーブル、全員10bb持ちで、自分だけ2bb持ちの場合を見てみましょう。
ICM計算機は
78.3%, 22+ Qx+ J2s+ J5o+ T2s+ T6o+ 92s+ 96o+ 82s+ 85o+ 72s+ 75o+ 62s+ 64o+ 52s+ 54o 42s+ 32s
なんと78%ものハンドで参加しろと言います。
デッドマネーも多いし、チップ期待値は確かに高いです。
しかし、これ本当に合ってるのでしょうか?
上の方を見ると、このレンジでオールインして、チップ期待値が200→220になると計算機は言ってます。まあそれはわかります。
仮に誰かがオールインして他が降りると、667のポットをプレイすることになります。
ところで、これはUTGです。
やっぱり76%でオールインしてチップ期待値は225点と言います。
ドショートは、デッドマネーの存在で、1ハンド単位で見たら、よほどひどい手で参加しない限りチップ期待値はプラスになるのです。
UTG+1でオールインすると、ダブルアップ(チップ的にはトリプルアップ)するか飛ぶかします。すると、UTGで25チップ得できる権利が消えるのです。
UTGでのオールインを考えましょう。
確かに76%でオールインしてチップ期待値225。
でもこれは、65%で飛んで、35%で640点になるというような結果なのです。
UTGで降りて、次のBBでのエニーハンド勝負になったとします。
その時のチップ期待値は180点。
誰か一番強いハンドの人とオールインになって、エニーハンドでコールし、2/3で飛んで1/3で540点になるという感じです。
一方、先程UTGからプッシュしてコールされて勝った場合、チップは640点になります。
その結果がこちら。
6bbちょっと持っているのでそれなりにフォールドすることになります。
ざっくりとチップ期待値が640点→570点ほどになるようです。
そう、UTGは、次がBBなので、
「ダブルアップしたらフォールドして1bbを失う可能性が高い。一方降りたら、エニーハンドのオッズコールをする権利がある。UTGからプッシュすると、BBのエニーハンドコールをする権利を失う」
のです。
UTGでオールインを勝っても、BBでオールインを勝っても、SBが来る時のチップ量はほぼ同じです。
UTGから76%でプッシュしてコールされて勝ったときは640点と見積もりましたが、BBが終了するまでのチップ期待値を考えると、実は570点しかないのです。
640点のチップなら、
187/640=29.2%
ほどあればOKなので、ドミネイトされていなければオッズは簡単に合います。
一方、次がBBであるということまで考慮すると、
187/570=32.8%
2アンダーでオッズが合うかどうか微妙になり、ドミネイトまで考えるとそうそう弱いハンドで入れるわけにはいかなくなります。
たった3.6%ですが、この差は非常に大きいのです。
具体的にどの程度で入れるか、と言われると迷います。
2bb持ちなら、SBまで全員フォールドで回った場合は、50%を少し超えるくらいは欲しいかなと感じます。
これが、最初のスタックが1bbちょうどくらいだった場合。
計算機は
エニー2で入れろと言います。
しかし、エニー2で入れて勝った時、次のBBで428点で座っていることになります。BBとのオールイン勝負なら354点ですし、SBとのオールイン勝負なら378点ですね。
やはりそこから70点ほど期待値を失ってSBを迎えます。
一方降りてBBで強制オールインの場合は
110点の期待値でSBを迎えます。
1/3で勝ったら324点、2/3で終了という感じでしょうか。
そう、ドショートなら、チップ期待値プラスの勝負をしてBBを通過出来るのですが、チップを持つと、チップ期待値マイナスの勝負を経てBBを通過するのです。
ドショートでオールインするのは、1ハンド単体で見ると+EVに見えるかもしれません。
でも、常に+EVの勝負は出来るわけで、その権利を未来に取っておくという感覚が非常に大切なのです。
ファイナルテーブルチップリのプレイ
有料記事にするか迷いましたが、オフィシャルブログに投稿します。
きっとこのことは時代が変わっても変化しないはずだと自分は思うので。
多くの人が誤解しているのは、ビッグスタックの活かし方です。
残り9人。スタックが少ない方から
10bb、12bb、15bb、20bb、32bb、35bb、38bb、45bb、80bb(自分)となったとしましょう。また、賞金分布は一般的なトーナメントの分布だとします。
1、オールインになってもこちらは飛ばず相手は飛ぶので積極的に攻める
2、ショートスタックにはプレッシャーをかけていく
3、ショートのオールインは負けてもそこまで痛くないし、勝ったら人数減らせるので積極的にコールする
こんな感じでしょうか。しかし、この中でしっかりと正しいのは一つしかありません。それはどれでしょう?
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
それは、1だけです。
まあ、2はそこまで大きくズレてもないけど、という感じで、3は完全に誤りです。
解説していきます。
まず、自分は80bbを持っていて、対ショートスタックに対してはバブルファクターは大きくありません。
https://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2018/03/20/150007
一般的なアベレージ持ちのファイナルテーブルは1.5とかで、ショートはもうちょっと高め、チップリはショート相手なら1.1とか1.2でしょう。
ICMは
https://gyazo.com/a1d3a80aade74f283497e132b8d6c658
ボタンから10bbがオールインして、SBが降りて、自分がチップリのBB。
ボタンのプッシュは35%。それに対してBBでは29%ほどコールするように言います。
まず、これより広くコールすると思った人、完全な間違いなので気をつけましょう。
9人から8人になると、確定する賞金は増えます。
しかし、チップリの立場なら、そもそも9位で終わる可能性は殆ど無いですよね。それならば、飛ばして8人にするメリットは小さいのです。
一方、他のショートスタックは、誰かが飛んで賞金が上がるとめっちゃ嬉しいですよね。そう、飛んで嬉しいのは他のプレーヤーで、飛ばすということは他のプレーヤーのバブルファクターを小さくすることになるのです。
また、実際のプッシュは、そういう飛ばすコールをしてくるビッグスタックがいるため、ナッシュが言うレンジよりタイトである可能性が高いです。するとなおさら固くコールするべきなのです。
自分がBBなら、ここから2つ3つタイトにコールします。
そう、チップリの立場からすると、ショートスタックには生きていて欲しいのです!勿論、強いハンドが入ったらコールしますが。
ショートが生きていると、20bbくらいの人はリスチールに行きづらくなります。強いハンドを持たれていた時のリスクが大きくなるからです。
そうやって、広く小さくスチールに行くのです。
ショートスタックは、バブルファクターのためにBBをディフェンスするのも難しいです。高いリスクを取らないといけないですから。
ビッグスタックは、じわじわと飛ばさずにチップを増やすのが理想なのです。そうすると、どんどんスチールが通りやすくなります。
A5oでミニレイズでスチールして、12bbにオールインを返されても、フォールドして良いでしょう。際どかったら全部降りるのです。
勿論、そうプレイすることがバレてたら多少は良くないです。しかし、実際わからない上に、本当に強いハンドを持っていたら当然コールするので構わないです。
10bb持ちのショートスタックは、どこかで勝負をかけないと、どうせ7位以下で終わってしまいます。なので、見た目よりは勝負をかけないといけないのです。それをいじめすぎるよりは、10bbくらいでキープしてもらって、こちらは30bbから45bb持ちのミドルスタックからチップを貰うというイメージでいると良いです。
そう、チップリが真にいじめるべきなのは、ミドルスタックなのです。
ミドルスタックが2bbにオープンして、チップリで5.5bbに3ベット。ミドルスタックは相当ハンドが強くないと降りざるを得ません。見た目よりずっと小さなリスクでスタックを増やせるのは、実は対ミドルスタックなのです。
バックギャモン界の某社長が好きな言葉ですが、
「真綿でじわじわ首を絞める」
この言葉こそが、チップリでファイナルテーブルに入った時にピッタリ目指すべきプレイなのです。
政治が目指すべき方向と、個人の行動
あまり政治的な発言はしないつもりでいましたが、最近ちょくちょくしているので、せっかくなのでこれもブログにて書きます。
「国家を運営するに当たって、何を目標にすべきか」
という話題です。
よく言われるのは
「最大多数の最大幸福を目指す」
というのがあります。しかし、自分はこれについては結構疑問に思っているのです。
まず、
・幸福は数値化出来ない
・人によって幸福を感じる度合いも違う
・そもそも、どの期間での幸福を考えるべき?
これらはどうしても避けて通れないです。また、ほとんどの人にとって
「エタ、ヒニン制度」
を導入したら、幸福度合いは上がるのです。
結局、幸福かどうかというのは他人との比較なのであって、現代の日本人は物質的には江戸時代の将軍より快適で健康的で食事にも恵まれている生活をしている人が99%以上なのに関わらず、そこまで幸福を感じていないのです。それは他者との比較をしてしまうから。
そこで、仮に人口の1%程度の「エタ、ヒニン」制度を導入したら、国民の幸福の総和はかなり上昇するでしょう。でもですよ、こんな制度って許されますかね?
つまり、「国民の幸福の総和を最大にする」という方向性は現実的に無理である、と自分は思うのです。
では具体的に政治は何を目指して行くべきか。
例えば日本の政治の方向性だったら
「日本という国の存在時間が最大になるように政治を行う」
であるべきだと自分は思います。
その過程で鎖国を選んでもいいし、自由交易を選んでも良いです。
まあ現実的には自由交易を選ぶことになると思いますが。
国民は自分自身の意志で、色々な国に行く権利があります。相手の国が受け入れてくれさえすれば。その状態で、あまりに国民から搾取しすぎると、国民は逃げていってしまい、国力が低下して存在時間は短くなってしまいます。つまり、「国民の幸福」というのは、長く国家を運営する上である程度は保証しないといけないものなのです。
また、経済を最優先にするあまり、国防をおろそかにすると、攻め入られて国がなくなってしまう可能性があります。子どもが産まれないと国が長続きしないので、そこにお金を投入する必要もあります。一方で、福祉もある程度しっかりやらないと、働き手の問題にも繋がります。それらのバランスが求められるのです。
また、他国とある程度は仲良くすることも求められます。トラブルが起こった時に味方になってくれる国を多く持っておくことで、生存確率が上がるのです。
かと言って、過剰に譲歩しすぎると、自国民の損失に繋がり、国民が逃げ出す遠因になるでしょう。こちらもバランス。
勿論、具体的にどういう施策が最良なのか、誰にも分かりません。社会はポーカーと同じで運が絡む不完全情報ゲームですから。
しかし、「国の生存時間をできるだけ長くする」ということを政治の目標とすれば、あらゆることをシンプルに思考できるのです。
一方で個人は、自分自身の人生トータルの幸福を最大化するように利己的に行動すべきだと思います。
幸福は数値化出来ないけど、それでも自分自身だけならある程度は考えることが出来るでしょう。
一見目の前の得に飛びつくことで、長期的に損をするかもしれません。
一方で、長期的に考えすぎて目の前のことをおろそかにしすぎても、幸せを失います。
そこもバランスなのです。
政治に対して
「俺にもっと得させよ」
と叫ぶことで、それが叶ったら得になるかもしれません。しかし、あまりに的はずれな要求をし続けると、人間関係で損をするかもしれないのです。
それもバランスなのです。
・国や自治体は、自分の組織ができるだけ長続きすることを目指す
・個人は、利己的に個人の幸福の最大化をはかる
・それらは、しっかりバランスが取れていないと、最大化ははかれない
まとめるとこんな感じが、自分の、個人と政治に対する持論です。
ポーカーをプレイするということ
https://note.com/mianiki/n/n54952bdad747
こちらの記事を読んで。
うん、非常に良い記事だと思います。特に対botでプレイする上では非常に大切。
良い記事なんだけど・・・
ポーカーにおける、すごく大切な前提が抜け落ちているんです。
マクロ的には、ミクロ的には、って、プロ同士の対戦では非常に大切です。
例えば、こちらがボタンからQdJsで2.5bbにレイズ、BBがコール。
フロップ4d6Jh
3bbのべット(ハーフ強)を打ったら、10bbにレイズされました。どうする?
ここで一番最初に考えるべきことは何かというと
・相手はAJ、KJでレイズをするか
・相手は44,66でスロープレイをするか
・相手は78ccのような手でレイズをするか
・相手はKd5dのような手でレイズをするか
ボードがどちらに有利で、その条件下でレイズをしてきた云々・・・
という話って、相手もそのボードがどちらにどの程度有利なのかを把握している前提の話です。
でもですよ、相手がそういうことを一切考えてない場合、それを考えることの意味って無いのです。
相手が一切ブラフをしないなら、相手のレイズには全部降りるべき、というのと同じ思考です。
ポーカーって結局のところ、対人ゲームなのです。
ともすれば、解析的な面ばかりに目が行きがちですが、モニターの向こうにはコンピュータがいるのではなく(いや、コンピュータかもしれないけどw)、基本的には人間が座っていて、その人間はやはりこちらを倒そうと色々考えながらプレイしているわけです。ポーカーでいちばん大切なことは
「こいつはどう考えてプレイしているのか」
「こいつはこちらのことをどういうプレーヤーだと思っているのだろうか」
これなのです。
レンジとかバランスとかGTOとか、そういうのはプレイする基本的な思考のベースになります。しかし、それはあくまでベースラインがどこにあるかを知るためのもの。本当に大切なのは、相手の思考を知ることなのです。
「こいつのプレイはめちゃくちゃだから、思考なんて知るのは無理!」
と思うかもしれません。
でもですよ、プレイはめちゃくちゃに見えても、その裏にはその人の思考は必ずあります。そして、弱いプレイヤーの方が思考ははっきりわかるのです。
「ブラフで降ろすのが楽しい!」
という思考だったり、
「ガンガンギャンブルしたい」
という思考かもしれません。もしくは
「こいつにだけは負けても降ろされたくない」
という思考かもしれません。ヒストリーがあって。
何れにせよ、どういうハンドを持っているかは分からなくても、何を考えているのかについて常に考え続けないと行けないのです。
安易にGTOに頼ろうとするのは、ポーカーの本質であるこの点から目を背け、無思考の楽なポーカーを目指しているのと近いと自分には感じてしまうのです。
サイトと信用
自分は元々バックギャモン出身です。
AIによってポーカーで起こることは、バックギャモンで起こったことが大体起こると思ってます。
https://blog.goo.ne.jp/mochy3_8/e/05656f3bc6c5e03622c1548723c565a6
バックギャモンも以前はオンラインでプレイできました。
そこで、バックギャモンマスターズというサイトが新規で出来たのですが、そこはUIとかが綺麗でした。
以前のバックギャモンは良かったよね、棋譜を残せない方がバックギャモン界の為になるからその方が良いよね、うちのサイトは棋譜を残せないシステムにします、と。
何が起こったか。
このサイトがボットをプレーヤーとして設置し、いるプレーヤーがボットだらけになったのです。
同じことはポーカーでも必ず起こります。
なんか、どこかで聞いた話だと思いませんか?
自分は、棋譜を残さないサイトは信用しないと決めています。
コロナ騒動の展望
自分が思う、今回のコロナ騒動の予想を書いておきます。
前回の記事と違って、今回のは
「こうすべき」
「この方が良い」
と言うのは一切抜きで、純粋にどういう風に世の中が動くかを予想します。
まず世界に関して。こちらに関してはそれなりに予測はしやすいです。
多数の犠牲を出し、そういう国ではある程度収まりつつあるように見えます。
一旦今の緊縮を解いたら、また感染者が出続け、また国はロックダウンをするかどうかの選択を迫られます。
しかし、一度感染したら大丈夫(今のところ多分、に過ぎませんが)なので、感染して治った人たちがどんどん経済活動を回し始めます。
すると、しっかりこもっていたために感染してない人で、40代以下で既往症がない低リスクな人たちは
「このまま自粛生活を続けるより、感染するリスクがあっても普通の生活をした方が良いんじゃない?」
と思うようになり、どんどん街に出るようになります。犠牲はかなり出続けますし、医療現場は大変なことになると思いますが、少しずつ経済が回復していきます。
一方日本。大雑把に3つの可能性があると思います。
まずは最悪なシナリオから。と言いつつ、一番可能性が高いと思ってます。
日本は諸外国と違い、感染爆発と医療崩壊は相当長く食い止めると思います。
7月くらいまでは持つでしょう。
その期間、経済に大打撃を与えつつ、この自粛をし続けることになると思います。だって、成功しているように見えるから変える必要はありません。
しかし、それにも限度があります。徐々に耐えられなくなった層が出て来ます。街に人が戻ってくる。すると感染者も増えます。
医療崩壊が危ないとすると、8月から10月じゃないかなと思います。
しかも、そこで再度緊急事態宣言を出しても、既に超長期に渡って色々経済を止めた影響で、ここで耐える精神的経済的体力がもう残されておらず、一度医療崩壊が起こると、耐え続けただけに余計に被害が大きくなる事が想像されます。
かといって、日本には政府が国民を管理する方法がありません。
それまでは国民の相互監視によってそれを達成していましたが、体力が残されていない国民は別にしょうがないよねという空気になります。そこで一気に医療崩壊が膨れ上がります。
感染爆発による被害は変わらず、それに加えて経済的な被害も拍車をかけます。
そう、まだ体力がある序盤に感染爆発しておけば何とか出来る体力もあったかもしれませんが、耐える精神的能力がなまじ高かっただけに、被害は諸外国よりも大きくなることもありえます。6桁人数の死者に加え、経済が一気に悪化したことによって犯罪が急増します。日本で犯罪が非常に少ないのは、現状貧しくても食うのに困らないからですが、食えなくなったら犯罪を犯してでも食おうとする人が多数発生してしまうのです。
中くらいのシナリオ。これは確率低いと思ってますが。
ここ1,2週間以内に感染爆発が起きます。
国は緊急事態宣言というレベルを超えた、完全シャットダウンに入ります。
それが一ヶ月。死者は数万人。
その後、諸外国と同様の推移をしていきます。とはいえ、繰り返しますが可能性は低いと思います。
良いシナリオ。
1ヶ月位耐えているうちに気候が暖かくなります。
今の所赤道直下の国でもコロナは発生しているから暖かくなったら収束するなんてとても言えないのですが、少なくても
・他人と近くにいるのが気温的に不快である
・水分を体が欲するので、ウイルスが口や喉から胃に流されるかも
・水温も上がって、手を洗うのが苦痛じゃなくなるので、長時間、高頻度で手を洗うようになる
・化学反応の速度が上がる(石鹸によるウイルス消滅は化学反応)
という可能性はあります。根本的な解決には繋がらないのですが、そこで時間をかせぐことが出来ているうちに、ワクチンや特効薬の開発の可能性があります。これが成功すれば、3桁前半の犠牲者で済みます。
勿論、次の秋から冬にまたウイルスの猛威が、という可能性も十分にありえます。
自分が絶対的に否定するシナリオとしては、一ヶ月封鎖したらウイルスが消えるということです。それは不可能。
逆に言えば、一ヶ月頑張ればなんとかなるから今頑張ろうと言うのは非常に妄想というか、少なくても楽観だと思います。
何れにせよ、日本政府は、最悪のシナリオのリスクを負って、神風が吹いて良いシナリオを迎えることに賭けました。
これはとんでもないギャンブルだと自分は思いますし、自分が為政者だったらこんなリスクは負えないです。
コロナ騒動、どうなることでしょうか・・・
命を守るとは何?
自分は常々思っているわけです。
「命より大切なものはない」
とよく言うけれど、でも人間は誰でもいずれ死にます。
死なない人間はいない。なのに、「命を守る」とはなんだろう、と。
自分は現在38歳。
平均余命は大体50年ほど。自分が今死んだら、失われるのは命というより、自分がこれから生きる50年という時間じゃないのかなと思うのです。
50年って600ヶ月。
例えばですよ、そこで一ヶ月を完全に無にしたとすると、人生の1/600を失います。
1/600って、0.17%。
ところで、今回のコロナウイルス、40歳以下の死亡率は0.1%から0.2%と言われてます。因みにインフルエンザの死亡率は0.1%です。
なので、自分の年齢だと、コロナに感染したら残り人生の一ヶ月分を失うことになります。
一ヶ月、完全に失われた人生を送ることで確実にコロナにかからない。普段どおりの生活をしたら100%コロナに感染する。そういう過程ですら、かかっても別に良いということになります。実際もっと大流行して、10%の人が感染する状態になるとしましょう。それだと、0.1ヶ月分、3日分の時間がペイするコストです。
今は1億人のうち1万人。ざっくり0.01%。仮に東京で1万人だとしても、0.1%。桁が二つ少ないです。
これが、80歳の既往症ありだと、死亡率が20%とかになったりします。
80歳の平均余命は8から9年。大体100ヶ月。100ヶ月の20%は20ヶ月。80歳だと、コロナにかかると平均20ヶ月分の人生を失います。
10%で感染するなら、2ヶ月分。これだと結構自粛を頑張る価値がありそうです。
それで、社会全体で見たら、感染した場合の死亡率は1から3%。
強制的に何かをしなかったら10%が感染して、何かをしたら現状のままで済むと仮定すると、感染した場合で平均4ヶ月分くらいの人生の時間を失い、10%で感染することを防げるならば、0.4ヶ月くらいの超絶我慢が社会全体としてのペイするラインです。
勿論、ここに医療崩壊とか、医者のなり手がいなくなるとか、そういう悪い要素も考えないといけません。
一方、経済を封鎖したことによる死亡も同様に考えないと行けないです。
また、外出をさせないことによる健康被害の要素も間違いなくあります。
自分はこのコロナウイルス、1月の時点ではみくびってました。
しかし、2月後半からは非常にタチが悪いと思ってます。他の凶悪ウイルスと比べて、軽症の期間が長いのです。
そんなウイルスを封じ込めるなんて不可能ですよ。
なので、自分の意見としては、インフルエンザと同じような扱いにして、もっと広くみんなが感染する前提。自衛は各自行う。
それによって日本だけで数万人が亡くなる。でもそれ以外に方法が見当たりません。
医療従事者からはすごく非難されるかもだけど。
先程言ったように、人間はいずれ亡くなります。
日本では毎年130万人が亡くなります。これは減らすことは不可能。
そこで数万人。大きいけど、人類にとって大きすぎるわけじゃない。
そもそも、ある程度の犠牲と引き換えに文明を維持するというのが人間の考え方だったんじゃないのかな、と。
今ですら、交通事故で日本だけで年間3000人以上亡くなってます。以前は3万人でした。交通事故は誰でも被害者になりえます。でもその犠牲を出してでも、車を使うという利便性を人類は選んだんじゃないのでしょうか。たった2週間の練習だけで車を使う許可を出すわけです。
戦力の逐次投入をしてしまった現在、もう政治的に引き返せないのは分かります。
自分が言っていることも理想論に過ぎないことも分かります。
でも、みんな好き勝手理想論を言っているんですよね。それなら、自分の理想論は、
「すべての国家が足並み揃えて犠牲を受け入れる」
「個人は自己の責任で自衛する」
それに合わせて、
「リスクを一身に追うことになる医療従事者への待遇改善」
じゃないかなと思うのです。
半年の時間って、30代の人にとって残り人生の1%です。人生の1%をダラダラ失うのと、1%で人生を失うのは期待値的には同じことです。人間はいつかは死ぬんです。
人間は交通事故とかインフルエンザとか、慣れによって大きなリスクを負いすぎている。一方、原発もだし今回のコロナもだけど、未知なものを恐れすぎる。
人間なんだからしょうがないけど、個人的にはそこがバランスを欠いていると思うのです。