政治が目指すべき方向と、個人の行動
あまり政治的な発言はしないつもりでいましたが、最近ちょくちょくしているので、せっかくなのでこれもブログにて書きます。
「国家を運営するに当たって、何を目標にすべきか」
という話題です。
よく言われるのは
「最大多数の最大幸福を目指す」
というのがあります。しかし、自分はこれについては結構疑問に思っているのです。
まず、
・幸福は数値化出来ない
・人によって幸福を感じる度合いも違う
・そもそも、どの期間での幸福を考えるべき?
これらはどうしても避けて通れないです。また、ほとんどの人にとって
「エタ、ヒニン制度」
を導入したら、幸福度合いは上がるのです。
結局、幸福かどうかというのは他人との比較なのであって、現代の日本人は物質的には江戸時代の将軍より快適で健康的で食事にも恵まれている生活をしている人が99%以上なのに関わらず、そこまで幸福を感じていないのです。それは他者との比較をしてしまうから。
そこで、仮に人口の1%程度の「エタ、ヒニン」制度を導入したら、国民の幸福の総和はかなり上昇するでしょう。でもですよ、こんな制度って許されますかね?
つまり、「国民の幸福の総和を最大にする」という方向性は現実的に無理である、と自分は思うのです。
では具体的に政治は何を目指して行くべきか。
例えば日本の政治の方向性だったら
「日本という国の存在時間が最大になるように政治を行う」
であるべきだと自分は思います。
その過程で鎖国を選んでもいいし、自由交易を選んでも良いです。
まあ現実的には自由交易を選ぶことになると思いますが。
国民は自分自身の意志で、色々な国に行く権利があります。相手の国が受け入れてくれさえすれば。その状態で、あまりに国民から搾取しすぎると、国民は逃げていってしまい、国力が低下して存在時間は短くなってしまいます。つまり、「国民の幸福」というのは、長く国家を運営する上である程度は保証しないといけないものなのです。
また、経済を最優先にするあまり、国防をおろそかにすると、攻め入られて国がなくなってしまう可能性があります。子どもが産まれないと国が長続きしないので、そこにお金を投入する必要もあります。一方で、福祉もある程度しっかりやらないと、働き手の問題にも繋がります。それらのバランスが求められるのです。
また、他国とある程度は仲良くすることも求められます。トラブルが起こった時に味方になってくれる国を多く持っておくことで、生存確率が上がるのです。
かと言って、過剰に譲歩しすぎると、自国民の損失に繋がり、国民が逃げ出す遠因になるでしょう。こちらもバランス。
勿論、具体的にどういう施策が最良なのか、誰にも分かりません。社会はポーカーと同じで運が絡む不完全情報ゲームですから。
しかし、「国の生存時間をできるだけ長くする」ということを政治の目標とすれば、あらゆることをシンプルに思考できるのです。
一方で個人は、自分自身の人生トータルの幸福を最大化するように利己的に行動すべきだと思います。
幸福は数値化出来ないけど、それでも自分自身だけならある程度は考えることが出来るでしょう。
一見目の前の得に飛びつくことで、長期的に損をするかもしれません。
一方で、長期的に考えすぎて目の前のことをおろそかにしすぎても、幸せを失います。
そこもバランスなのです。
政治に対して
「俺にもっと得させよ」
と叫ぶことで、それが叶ったら得になるかもしれません。しかし、あまりに的はずれな要求をし続けると、人間関係で損をするかもしれないのです。
それもバランスなのです。
・国や自治体は、自分の組織ができるだけ長続きすることを目指す
・個人は、利己的に個人の幸福の最大化をはかる
・それらは、しっかりバランスが取れていないと、最大化ははかれない
まとめるとこんな感じが、自分の、個人と政治に対する持論です。