木原直哉オフィシャルブログ

プロポーカープレーヤー、木原直哉が、思ったことを書いていきます。道場やってます。https://lounge.dmm.com/detail/308/

命を守るとは何?

自分は常々思っているわけです。

「命より大切なものはない」

とよく言うけれど、でも人間は誰でもいずれ死にます。

死なない人間はいない。なのに、「命を守る」とはなんだろう、と。

 

自分は現在38歳。

平均余命は大体50年ほど。自分が今死んだら、失われるのは命というより、自分がこれから生きる50年という時間じゃないのかなと思うのです。

50年って600ヶ月。

例えばですよ、そこで一ヶ月を完全に無にしたとすると、人生の1/600を失います。

1/600って、0.17%。

 

ところで、今回のコロナウイルス、40歳以下の死亡率は0.1%から0.2%と言われてます。因みにインフルエンザの死亡率は0.1%です。

なので、自分の年齢だと、コロナに感染したら残り人生の一ヶ月分を失うことになります。

一ヶ月、完全に失われた人生を送ることで確実にコロナにかからない。普段どおりの生活をしたら100%コロナに感染する。そういう過程ですら、かかっても別に良いということになります。実際もっと大流行して、10%の人が感染する状態になるとしましょう。それだと、0.1ヶ月分、3日分の時間がペイするコストです。

今は1億人のうち1万人。ざっくり0.01%。仮に東京で1万人だとしても、0.1%。桁が二つ少ないです。

 

これが、80歳の既往症ありだと、死亡率が20%とかになったりします。

80歳の平均余命は8から9年。大体100ヶ月。100ヶ月の20%は20ヶ月。80歳だと、コロナにかかると平均20ヶ月分の人生を失います。

10%で感染するなら、2ヶ月分。これだと結構自粛を頑張る価値がありそうです。

 

それで、社会全体で見たら、感染した場合の死亡率は1から3%。

強制的に何かをしなかったら10%が感染して、何かをしたら現状のままで済むと仮定すると、感染した場合で平均4ヶ月分くらいの人生の時間を失い、10%で感染することを防げるならば、0.4ヶ月くらいの超絶我慢が社会全体としてのペイするラインです。

 

勿論、ここに医療崩壊とか、医者のなり手がいなくなるとか、そういう悪い要素も考えないといけません。

一方、経済を封鎖したことによる死亡も同様に考えないと行けないです。

また、外出をさせないことによる健康被害の要素も間違いなくあります。

 

自分はこのコロナウイルス、1月の時点ではみくびってました。

しかし、2月後半からは非常にタチが悪いと思ってます。他の凶悪ウイルスと比べて、軽症の期間が長いのです。

そんなウイルスを封じ込めるなんて不可能ですよ。

 

なので、自分の意見としては、インフルエンザと同じような扱いにして、もっと広くみんなが感染する前提。自衛は各自行う。

それによって日本だけで数万人が亡くなる。でもそれ以外に方法が見当たりません。

医療従事者からはすごく非難されるかもだけど。

 

先程言ったように、人間はいずれ亡くなります。

日本では毎年130万人が亡くなります。これは減らすことは不可能。

そこで数万人。大きいけど、人類にとって大きすぎるわけじゃない。

そもそも、ある程度の犠牲と引き換えに文明を維持するというのが人間の考え方だったんじゃないのかな、と。

今ですら、交通事故で日本だけで年間3000人以上亡くなってます。以前は3万人でした。交通事故は誰でも被害者になりえます。でもその犠牲を出してでも、車を使うという利便性を人類は選んだんじゃないのでしょうか。たった2週間の練習だけで車を使う許可を出すわけです。

 

戦力の逐次投入をしてしまった現在、もう政治的に引き返せないのは分かります。

自分が言っていることも理想論に過ぎないことも分かります。

でも、みんな好き勝手理想論を言っているんですよね。それなら、自分の理想論は、

「すべての国家が足並み揃えて犠牲を受け入れる」

「個人は自己の責任で自衛する」

それに合わせて、

「リスクを一身に追うことになる医療従事者への待遇改善」

じゃないかなと思うのです。

 

 

半年の時間って、30代の人にとって残り人生の1%です。人生の1%をダラダラ失うのと、1%で人生を失うのは期待値的には同じことです。人間はいつかは死ぬんです。

人間は交通事故とかインフルエンザとか、慣れによって大きなリスクを負いすぎている。一方、原発もだし今回のコロナもだけど、未知なものを恐れすぎる。

人間なんだからしょうがないけど、個人的にはそこがバランスを欠いていると思うのです。