木原直哉オフィシャルブログ

プロポーカープレーヤー、木原直哉が、思ったことを書いていきます。道場やってます。https://lounge.dmm.com/detail/308/

ゲームの存在意義と、プロの存在意義

「○○なんて無くても問題ない」

この○○に当てはまるもの、当てはめた言説をされるものの筆頭に、ゲームがあると思います。

それ以外にも、スポーツだったり、芸能だったり、音楽だったり・・・色々あります。

まあ実際、無くなっても誰かが死ぬわけではないのは間違いないでしょう。ではこれらの存在意義は何なのか。

それは、先日ポーカー歴2ヶ月(訂正:ポーカー歴はもっと長いけど、真剣に勉強しはじめた歴が2ヶ月、とのことです。誤情報すいませんでした)にしてJOPTを優勝されたようすけさんが簡潔にまとめてくださいました。

 

 

「人生を豊かにする手段」

とても素敵な言葉ですね。本当にそう思います。

まだ途上であるとは言え、今の人類は必死に生きることに努力しなくてもある程度の暮らしができるようになりました。豊かになっているということですね。

そうすると、人生において、余暇が出来ます。その余暇をどう過ごすか。それを選ぶことができるようになっています。

余暇を更に勉強にあててもっと高みを目指すという生き方も良いですし、ゆったりとした人生を送るのも良いでしょう。スポーツをやるのも良いですし、漫画を読んだり読書なんかも素敵ですよね。勿論複数の趣味を掛け持ちして、忙しく遊ぶのも良いですよね。

その選択肢の一つとして、ゲームも存在しているのです。

また、ゲームへの取り組み方も、トップを目指して真剣にプレイするのも一つですし、そこそこのレベルまで到達してある程度の成果を得るというのも一つ。また、成果とか考えずに、単にプレイすること自体が楽しいという向き合い方も一つです。どのスタンスが正しくて、どのスタンスが間違えているとかそういう類のものではないのです。

 

ただ、これは絶対的な正解では無いかもしれないし、自分の価値観に過ぎないのですが、自分の価値観として

・楽しいと思えること

これが何よりも最も重要だと思います。

 

話をポーカーに移します。GTO的な勉強をして、それ通りにプレイしようとすることが最も大切だと思っている人がそれなりにいる印象です。

勿論、勝つことが最上の喜びで、そのためにGTOを勉強するというのは一つの楽しみ方です。

しかし、GTO的なプレイから大きく外れることを恐れ過ぎている人がそれなりにいる印象です。また、そういう人は得てして、他人に依るGTOから大きく外れたプレイを見下してしまう傾向もあると思います。

でもですよ、ポーカーをプレイする最大の目的は、人生を豊かにすること、楽しむこと、なんじゃないでしょうか。

・スーコネで参加してフロップでドローになってわくわくする。

・ドローが引けたときの喜び、そしていくらバリューベットを打つか考える楽しみ。

・ドローが引けなかった時にガッツリとブラフをして、降ろせるかどうかドキドキする。

仮にプリフロチャートでスーコネの部分が0%となっていたとしても、スーコネで参加することは「禁忌」でもなければ、「アウトな行為」でもないのです。

麻雀で言うなら、ドラ3の三暗刻出来上がりで、233から2を切ってリーチするのは損とされてても、やったっていいんですよ。

損得に全振りすることが価値観の全て、というのも一つの楽しみ方ですが、その価値観が絶対的に正しいわけじゃないことを理解していないと感じる人が多いです。

とにかく楽しみましょう!

 

 

ではプロの存在意義は何か。

プロの定義は色々あるところですが、自分は

「それを収入の中心にしている人」

だと思ってます。

その収入がどこから来るかは競技に寄るところですが、自分はプロの存在意義は

「他人の楽しさを増やすこと」

だと思っています。それが業界のプロ全体の収入を増加させることに繋がるからです。

ポーカーのように直接的に相手とお金のやり取りがあるゲームだと、自分が勝つ=相手が負ける、なので難しい面はありますが、少なくても負けるにしても、ゲームをすること自体が楽しかったと思ってもらえることが大切だと思っています。

また、観戦される競技だとすると、見ている人が楽しい、ハラハラドキドキする、そういうものを提供するのがプロだと思うのです。それが長期的に収入に繋がっていくのです。

 

日本でもメジャーな頭脳ゲームとして、オセロや連珠などがあります。

これらの競技は、プロがいません。

お金を出してくれる人や組織がないからで、するとどんなに強くてもプロになることが出来ないのです。

逆に言えば、現状プロとしてやっていけるゲームであっても、外から業界内にお金を引っ張ってこれる人でない限りプロとしての存在意義は非常に小さいと思います。引っ張ってこれるお金の大きさは、他人に与える楽しさの総量(計算できないものですが…)に比例するわけで、それこそがプロの価値と言っても過言ではないと自分は思うのです。