ポーカーを教わってはいけない人
初心者で新しくゲームを始めるにあたって、やっぱり一番最初は誰かに教わるのが手っ取り早いです。
しかし、最初にたくさん教わる相手によって、その後の上達にめちゃくちゃ大きな違いが出ます。
自分は幸運なことに、ポーカーはzakiさんに教わり、バックギャモンは(現世界ランキング1位の)望月さんに教わりました。しかし、そういうしっかりした方が身近にいるかどうかは完全に運だと思います。
ここでは、「こういう人には師事しないほうが良い」という人の特徴を書いてみたいと思います。タイトルでは「ポーカー」と書きましたし、内容はポーカーを意識して書きますが、これはどんなゲームでも、もっと広く学問とかあらゆることに当てはまると思います。
レッドカード
1,オープンな場(もしくは強い人が複数含まれるコミュニティ内)で教えず、初心者しかいない場でしか教えない人
2,具体的なプレイを直接的に教え、考え方を教えない人
3,教わる側からの質問を嫌がる(しっかり答えない)人
4,自分が才能に満ち溢れている、というような内容の発言する人
5,プレイや考え方を広く教えると損をする、と主張する人
6,弟子から学ぼうとしない人
7,発言内容がプロのマジョリティの発言と違う
1番から。
クローズドな場でしか教えないのは、自分のプレイを他の上級者に突っ込まれるのを避けるためです。つまり、教えている内容に自信がないんですよね。もしくは悪意を持って嘘を教えている可能性もあります。
どんなに強い人でも、ポーカーの神様からみたらずっと弱いです。議論するのは少しでも近づきたいと思う気持ちの現われです。その議論を避けるということはどういうことなのでしょうか。
2番。
これは、その人自身が、プレイを言語化出来ていないということです。言い換えると、はっきりした理由なしにプレイを選んでいるということです。
3番。
教わる人からの質問を嫌がるのは、2番と近いですが、プレイの理由がないからです。
4番。
強くなればどんどん強い人と戦うことになりますが、どんな世界でも本当に才能に満ち溢れた人がたくさんいて、その格差に愕然とさせられます。本当にその人が藤井二冠のような人で無い限り。
そして、藤井二冠のような人は、そこそこ無名でくすぶることが出来ません。ポーカー界ではTruetellerなどがそれに当たります。そうなると、本人が無名でいたいと思っても、勝手に有名になってしまうのです。
強くなればそういう人と戦う機会はたくさんあります。そうすると、とてもじゃないですが自分自身が才能に溢れているなんて言葉は出てこないのです。世界的に有名で無い限り、井の蛙かブラフかのどちらかです。
次からはイエローカード。ただ、自分中ではレッドカードと近いと思ってますが、例外が多いのでイエローカードにしました。
5番。
本当に強い人は、自分自身のプレイや考え方を教えたところで、教わった相手がその人と同レベルまで来ることは本当にマレです。なので、教えても全然問題ない。
また、教わった人が本当に同レベルまで登ってきたなら、その人は一緒に切磋琢磨する相手として最適だし、抜かされたのなら、今度はこちらが遠慮なく色々聞ける素晴らしい師匠になります。
例外として、対戦が狭いコミュニティである場合。
その場合は同じ相手と何度も戦うことになります。その場合は、戦術が他の人を通してでも伝わってしまえばかなりの損をしてしまいます。例外ではあるけど、かなりありえる例外なんですよね。
6番。
特に不完全情報ゲームは、自分より弱い人であっても、特定のスポットでは強い人より正しくプレイできることは多々あります。教えていても、そういうスポットに敏感に気づけることが強くなるためには必須だし、こういう意識を持っているかどうかは分かるはずです。
例外としては、プロ棋士をアマ級位者くらいの差がある場合は残念ながら参考になることを見つけるのが難しいのですよね。なので、初心者が教わる相手を探す時の参考にしづらいです。
7番。
プロのマジョリティの意見は、よほど飛び抜けた人で無い限り、ある程度同じような話になるんです。そこからずれているということは、飛び抜けているか、正しくないか。ただ、飛び抜けている場合、4番と一緒で勝手に有名になっちゃうんですよね。
ただ、初心者からすると、誰が「プロ」なのか本当に見分けづらいのと、師匠がマジョリティじゃない場合、その周りにいる「プロ」もマジョリティにはならない人で構成されている可能性が高いのです。なので、初心者がセカンド・サードオピニオンを探そうとしても、それが本当にセカンドオピニオンになり得るのか判断するのが難しいのです。
いちばん有名な人が「ニセモノ」である可能性もあります。狭い世界だと、外に向けたアピールが上手な人が有名になったりすることも多々あります。
また、(例えば世界チャンピオンだとか東大卒だとか)立派な肩書があっても「ホンモノ」を保証しません。
また、肩書は過去に対してつくものですが、過去は確かに「ホンモノ」であったとしても、そこから闇落ちしてしまうこともあります。
自分が師事する人がホンモノかどうかは、自分の目で判断しないといけないのです。