David SklanskyとPhil Galfondと期待値、G-buck
ポーカー界には様々な才能を持った人がいます。
その中の一人がDavid Sklanskyです。
彼は、プレーヤーとして顕著な成績をおさめたわけではありませんが、ポーカーにおけるたくさんの場面を数学的に検証し、様々な理論を打ち出しました。
もう30年以上前に発売された本ですが、
このThe Theory of pokerは出版から30年以上経ちますが、今でも評価が高いままです。ドイルブロンソンのSuper systemと並ぶ、ポーカー界の歴史的な本だと思います。
自分は英語で本を読むのがつらすぎて読んでないですが・・・
あと、この本は出版元が翻訳を事実上許してくれないという事情で、パンローリング社さんからの翻訳本としても出てないです。
さて、Davidはポーカーの実力について
「全員が手をオープンにしている状態での正しいプレイから乖離したプレイをするたびに期待値を失い、その乖離が相手より小さければその分が長期的な期待値になる」
という超有名な理論を発信しています。
フィルガルファンドを知っている人は多いでしょう。
今ではRun it Onceというポーカーサイト+ポーカーコーチングサイトを運営していますが、プレーヤーとしてもトップクラスであり、特にPLOプレーヤーとして有名です。また非常に数学的な知見に優れています。
自分が以前、彼と同卓した際に
「ところで、一番得意なゲームは何?PLO?」
と聞いたところ、
「いや、2-7TD。これについては確率計算を一通り終了させているから」
と言ってました。この頃(2015年)は、今から振り返ると自分は2-7TDにまだ少しリークがありました。当時はそんなことは気づいてないのですが。
そんなフィルですが、2010年位(もうちょっと前かも)に、デイビットの理論に対して噛み付いたのです。
「ポーカーはレンジ対レンジで行うべきものだ。仮にとあるアクションをとるレンジがQQ+、AKだったとして、たまたまその時AAを持っていても同じラインをとるすべてのハンドは同等に考え、それに対して長期的な期待値はついてくるのだ」
と主張したのです。そして、フィルのEVに対抗して、この長期的な期待値については
G-buck、ガルファンドマネーとでも言えばいいでしょうか、こう呼んだのです。
ちょうど、2010年くらいは、レンジという概念が幅を効かせる様になった時代です。多くの若手プロはガルファンドを支持していました。
自分は当時はモヤモヤしてましたが・・・w
そこからそれなりの時が経ち、多分G-Buckを知っている人は非常に少数でしょう。
ここからは自分の意見です。
フィルのG-buckについて、考え方としては非常に分かるのです。特にプレイする上では非常に大切です。
しかし、やっぱり本質はDavidの期待値の考え方の方が正しいのではないかと思います。そして、フィルのG-buckの考え方は、Davidが言う期待値を如何に上げる事ができるか、その方法論に過ぎなかったのではないかと。
Davidはプレーヤーというよりは研究者という雰囲気の人です。一方、フィルは完全なプレーヤーです。視点がどこにあったか、それによって同じものでも見方が変わったのかなと思うのです。
David Sklansky、知らなかった方はたくさんいるかもですが、もし興味があれば彼のことを調べてみてください。特に数学が好きな方におすすめです。
トッププロではないけれども、やはり古きポーカー界の異才の一人ですし、多くのプロが敬意を持っている人なのです。
経済が落ち込んでいるのに株価が上がっている理由
この記事は、完全に自分の専門外です。
一応、詳しい人の意見を見たり聞いたりして(会話させて貰ってもいます)、自分なりに理解した範囲で書きたいと思いますが、シロウトの書く内容なので鵜呑みにしないでもらえたらと思います。
これだけの経済の悪影響があるコロナ騒動。これからも影響は大きいはず。
にもかかわらず株価は、コロナ前の水準まで戻ってきています。
不思議じゃないですか?
その理由は、世界各国がこのコロナ騒動に対応するためにお金をたくさん刷っています。
いま、今の時代は「刷る」と言うのは比喩になりましたが、でもまあたくさん刷ってます。日本だって、全員に10万円をばらまくということは、12兆円の予算をそこだけで組んでますし、それ以外にも事業者へ数十兆円の予算を組んでます。そのお金は国債です。日本全体で1500兆円の資産合計とすると、10%弱のお金が増えたわけです。
世界中の「富」全体は同じか、幾分減ってます。
しかし、お金は増えたのです。
すると何が起きるか。お金(現金)の価値が下がるのです。お金の価値が下がるということは、インフレですね。
現金で資産を持っていたら、インフレした分だけ損をします。
仮に10%のインフレが起こるなら、現金で持っている資産価値は9%目減りするのと同じです。
投資家は、現金で資産を持っていると目減りすることは良く分かっています。だから今は現金で持ちたくない。かといって、じゃぶじゃぶ投入されたお金があるので、お金はトータルでは増えています。なんとかそれを目減りしない資産に変換したい。だから、金(キン)も株も不動産も仮想通貨も、価格が上昇しているのです。
つまり、株価が上がっているのではなく、現金の価値が下がっているために、現金を基準にした相対的な価値が上がっているように見えるのです。
今後ある程度のインフレは来ます。今はできる限り預金ではなく株とか仮想通貨とかの、預金や現金以外のものに資産を変えておくべきです。現金の価値こそが下がるリスクを抱えているのが2020年なのです。
熱中症と熱力学
自分は生物についてそこまで詳しくないです。
物理学は大学で不真面目に勉強した程度の理解度です。その前提で。
蒸気機関車等の熱機関(熱をエネルギー源として仕事をする機関)は、温度の高さで仕事が決まると思いがちで、そこまで間違えては居ないのですが、正しくは
「高温熱源と低温熱源の温度差」
によって仕事が決まります。熱力学の割と基本的な部分です。温度差で決まるので、200度と100度でも、50度と-50度でも、取り出せるエネルギー量は一緒なのです。
蒸気機関車の高温熱源は数百度で、低温熱源は空気の20度から30度なので、そこが10度くらいずれたところでまあ大したことないんですよね。
ところで、動物が動くことが出来るのも、複雑な構造がある(一旦化学エネルギーに変換するとか)わけですが、ただエネルギーを取り出す原理的には
「高温熱源と低温熱源の温度差」
であることには間違いないはずです。
高温熱源は体温で、低温熱源は空気です。
体温は38度とか(体内の温度なので)で、高温熱源は20度とか30度とか。
しかし、今日のように外の気温が37度とかになった場合、温度差が殆ど無くなってしまうのです。すると、エネルギーを生み出せなくなります。エネルギーを生み出せないということは当然動物は死んでしまうわけです。
じゃあ外の気温が非常に高い時はどうやってエネルギーを得るのか。
人間は生きる上で1日1000kcalくらい必要とします。
ところで、水が1g蒸発すると、530cal=0.53kcalくらいの熱を奪います。
水が100g蒸発すれば。53kcalくらいの熱が奪われるのです。
仮にそのうち40%がエネルギー生成の為の温度差として利用されるのだとすると、21kcal分くらいのエネルギーを生成することが出来るわけです。
体内で蒸発させたなら(呼吸で水蒸気として放出する)それを全て温度差に出来るのかな?ここらへんは詳しくないのですが。
まあ、人間が生命を維持するのに、1時間当たり20から40kcalくらいのエネルギーが必要(運動する場合は追加で必要)なのですが、それは1時間あたり100gの水の蒸発で賄えそうというのは、実感に近いかなと思います。
そして、外が暑いと動くのがだるいと感じるのは、このメカニズムを考えるとむしろ自然なことです。気温が低いうちに化学エネルギーとして蓄えたものを消費し尽くしてしまってエネルギーが枯渇した状態、というのが熱中症というものでしょうから、エネルギーを浪費しないようにしているのですね。
不正確な部分はあるかもだけど、医学や生物じゃなく、化学現象や物理現象として動物をとらえたら熱中症はこう見える、という記事でした。
リミットゲームとポットリミットゲームの戦術の違い
多くのミックスゲームはリミットで行われます。
多くのプレーヤーは、慣れてないゲームでもリミットなら打っていいかなと思うのもありますが、ポットリミットの慣れてないゲームはやっぱり抵抗があるんですよね。
しかし、一部のドローゲームとフロップゲームは、たまにポットリミットで行われることもあります。
オマハハイローはリミットだけじゃなく、ポットリミットもかなり一般的です。しかし、2-7TDなどはポットリミットはあまり一般的ではありません。
しかし、WSOPのBigBetMixやDealersChoiceイベントでは2-7TDのポットリミットもゲームの中にあります。
一般的に言って、ポットリミットとリミットでどうプレイが違うのか、それをホールデムと2-7TDを元に書いてみようかなと思います。
まず、既に多くの人がNLHEを元に書いてますが、ノーリミットやポットリミットのビッグべットゲームにおいては、エクイティが多少50%を切っていても、レンジがポラーされている方が強いです。
レンジがポラーされているというのは、平たく言えば、
「勝っているか負けているかが、自分のハンドだけでほぼ分かる」
ということですね。ポラーと対称的なのは、レンジがリニア(線形)であると言うことです。
平たく言えば
「そこそこの強さのハンドを持っていて、勝っている可能性がそれなりにはあるが、相手のハンド次第で勝っているか負けているかが大きく変わる」
なのです。
ブラフが少なすぎる相手だと、リニアなハンドを持っていても打たれたら負けていると判断しやすいからリニアであるデメリットが小さいし、ブラフが多すぎる相手だと、リニアなハンドでコールしておけばまあOKなのでプレイは簡単です。リニアなハンドを持っていて、相手が強いときが難しいんですよね。
ちょっと厳密な言い方ではないですが、ポットリミットゲームなら、最後に勝率34%あれば、最後に2対1でブラフを打つことで、34%側なのに期待値は51%相当になります。ポラーであることはそこまで強力なのです。
逆に言えば、勝率66%でリニアなレンジを持っていて、相手がポラーなレンジなら、実質的に49%しか勝率がないのと変わらないとも言えるのですね。
一方、リミットゲームなら、リニアなハンドは非常に価値が上がります。というか、元の勝率通りの価値に近くなるという感じでしょうか。
では、2-7において、リニアな強さのハンドとはどういうものでしょうか。
それは、
「9パットや87パット」
のようなハンドです。そこそこ強いけど、相手の強いドローに対して非常にツラい。
2500ドルバイインのようなイベントでも、2-7TDで、2479xで9を残し、1枚チェンジにしてできるだけ早くハンドを完成させようとする人が結構います。
そのプレイは、上にあげた、リニアなハンドを作るプレイなので、ポットリミットにおいては非常に良くないのです。
「リミットホールデムはドローハンドが安くドローできるので強くなる」
というのが勘違いであると以前書きました。
https://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2018/05/29/113000
強いドローの価値は、ポットリミットこそ高くなるので、リミットで2479xの9をチェンジするなら、ポットリミットでは尚更9はチェンジしないと行けないのです。
そして、一度でもこういう9を残すプレイをしたのを見たら、その後絶好の攻撃ターゲットです。セカンドドロー後にチェックレイズポットを打ったり、最後に微妙な86くらいで大きなバリューベットを打ったり、またブラフしたり出来るのです。
強いドローハンドとブラフ、セミブラフ。マージナルなハンドでポットを膨らませない忍耐(フリーカードを与える勇気)。そして、強いドローハンドを手にしたときに大きなポットをプレイすることをいとわない勇気。これらが、ポットリミットゲームをプレイする際に必要なものなのです。
ポーカーとは?ポーカーが強いとは?
日本では、ポーカーと言うと、未だに5枚配って1回チェンジする
「5カードシングルドロー」
だというイメージがあります。
このブログを読んでいる人は、5ドローは世界ではかなりマイナーなゲームであって、一番メジャーなのは
「ノーリミットテキサスホールデム(NLHE)」
だと知っているでしょう。
しかし、当然ポーカーはテキサスホールデムだけではなく、PLOもあればスタッドもあれば2-7、Badugi、Drawmaha、Archi、その他たくさんのゲームの総称です。
ポーカー>NLHE、PLO、・・・
という関係なのですね。
とはいえ、ポーカーライト勢(数字は適当だけど、ざっくり週平均10時間以下)の殆どにとっては、ポーカー=NLHEというイメージでしょうし、ライト勢がそう思うのは問題ないと思います。
そして、そういうポーカーライト勢がたくさん集まるアミューズメントポーカーにおいても、
「一番ポーカー強いのは誰だ」
的なイベントでNLHEだけを意味するのもまあ自然だと思います。個人的にはPPC(poker players championship)という名称だけはミックスゲームであってほしいとは思うけど、まあアミューズメントなので仕方ないかなとも思ってます。
一方で、ガチ勢ならば、そこは使い分けて欲しいなあとも思うのです。
「俺は○○(有名プロ)よりポーカーが強い」
とか豪語するなら、NLHEだけで言うべきではないと思いますし、NLHEだけで言うなら
「俺は○○よりNLHEが強い」
と言うべきです。
まあ、NLHEと言っても、キャッシュならライブキャッシュゲームなのかZOOMなのか。アンティがあるのか無いのか。スタックはどの程度なのか。MTTなら、ストラクチャーの速さ、KOの有無、サテライト形式なのか。
それらを総合してNLHEが強いとなるべきじゃないかなと思うのです。
ついつい人間は、自身がメインで打っているゲームがポーカーの中心であると思いがちです。でもそんなことないのです。
勿論、NLHEを100時間プレイした後で
「今月ポーカーを100時間プレイした」
と言うのは合ってます。ポーカー>NLHE、PLO、etcという関係なので、ポーカーの中の何を100時間プレイしても、ポーカーを100時間プレイしたことに違いはありません。当然PLOやミックスゲームを100時間プレイしても、ポーカーを100時間プレイしたのは正しいですよね。
ちなみにですが、「ホールデム」と言ってしまうと、本来はコミュニティカードを使うポーカー全てを意味します。
つまり、NLHE、FLHE、PLO、FLO、FLO8などなど、全ての総称がホールデムなのですね。
しかしまあ、一般的には
「ホールデム」と言うと、「テキサスホールデム」を指します。あくまで一般的な略称です。なので、
「○○よりホールデムが強い」
と言うのは、NLHEとFLHEが総合的に強ければ言って良いでしょう。
NLHEメインの人は、
「ホールデム=NLHE」
としすぎますが、ミックスゲームの人的には
「ホールデム=FLHE」
であって、NLHEの事は「ノーリミット」と呼びます。
せっかくの機会なので、ミックスゲーム界隈でのゲームの略称を紹介します。右側が呼び方で、左が世界一般で通じて誤解されない略称です。
NLHE=no limit
FLHE=hold'em
FLO8=omaha, omaha eight, omaha hilo
PLO8=PLO eight
Stud=stud
Stud8=stud eight, Stud hilo, hilo
2-7TD=deuce, deuce to seven, triple draw
A-5TD=ace to five
Badugi=badugi
NLSD2-7=no limit deuce
こんな感じですね。
deuceとだけ言ってもtriple drawとだけ言っても、2-7TDを暗黙の了解で意味しますし、omahaとだけ言ったらFLO8を意味します、PLOではなく。
単にhiloと言ったら、スタッドハイローを意味します。
no limitと言った時、よくプレイされるのはNLHEとNLSD2-7ですが、そこはメジャーなNLHEにno limitの略称は譲り、NLSD2-7はno limit deuceと一言付け加えます。
このミックスゲーム界隈の呼び方が正しいと言うつもりは全くありません。
しかし、
「ポーカーと言ったら、ノーリミットホールデムだ!」
「ホールデムと言ったら当然NLHE以外にないでしょ!」
と思うのは、あくまでポーカーの(多数派ではあるけれども)一部のコミュニティーに過ぎなくて、それが世界共通で通じる略称だと思いこむのは間違いなのです。
それなりの頻度で
「木原よりポーカーが強い」
的な言葉を目や耳にするので、
「100歩譲ってもNLHEじゃね?それでも本当にそう言える人はめっちゃ限られると思うよ」
と自分は思ったりもするのです。
ちょっと話題になったので、便乗して常々思っていることを書いてみました。
ミックスゲームの勧め、NLSD2-7
ちょっとマニアックなゲームを紹介します。ただ、このゲームは
「最もピュアなポーカーである」
と言われることもあるくらい、本当に純粋なポーカーの実力が問われると言われているゲームです。
それはNLSD2-7、no limit single draw deuce to seven です。
まず、2-7については
価値観と経済と
コロナ対策で、西浦教授が
「全く対策を取らなかったら日本で42万人死亡」
という試算を出して、色々賛否あったのは記憶に新しいところです。
結構この予測を批判する人も多いけど、割と全ツッパ寄りの自分はこの予測、正当なんじゃないかなと思います。
政府と国民がこれだけ対策を取って、もう少しで1000人に到達しようかという状況です。もし政府が全く対策を取らなかったら?
おそらく一桁上の結果になったでしょう。
ところで、「全く対策を取らなかったら」というのは、主語が政府だけじゃなくて国民もです。感染症が流行っていたら、政府が対策をしなくても、当然国民(特にハイリスク層)は自主的に対策を取ったでしょう。そう考えると、国民が対策を全く取らなかったら更に一桁上、というのはすごく合理的な数字だと思います。
42万人がコロナで亡くなる。これは勿論悲劇的なことです。
一方で、強い対策を取ったことによる経済被害は100兆円とかそういう規模です。
対策を取らず、42万人が亡くなった場合の経済被害について、3兆円という試算があります。3兆円???と思うかもしれません。また、命をお金で換算するなと思うかもしれません。ただ、それを一旦置いておき、その試算が妥当かどうかだけ考えます。
コロナが流行していて医療機関がパンクしていることで、二次的な被害も想定されます。
しかし、コロナが無くても、そもそも日本では年間130万人が亡くなるのです。
42万人って30%でしかないのですよ。
更に、42万人のかなりの割合は、いずれにせよ130万人に含まれる人であろうことは間違いないです。実際は15%から20%増ってところでしょうか。
そう、毎年130万人亡くなって、その前提で経済は語られているのです。その前提で、2,30万人多く亡くなることによる経済損失ってそこまで大きくないんですよね。しかも、引退世代がほとんどですから。
勿論、亡くなる以外にも、後遺症の話もあります。ただ、3兆円というのは後遺症まで含んだ数字です。
毎年日本では、階段からの転落事故だけで毎年4桁の人が亡くなってます。そして、命は助かっても、感染症とは比較にならないくらい、階段からの転落は後遺症も多く重いです。1億人以上の人口を持つ日本からすると、これくらい限定した事故であっても4桁とかは普通なのです。人が亡くなることって、それくらいありふれたことなのです。そもそも、人間は必ず死ぬのです。
医療従事者は、勿論お金の為に働いているのは当然ですが、それでも平均よりかなり、個々の命を大切にする価値観を持っているからその職についている割合が大きいのです。
自分はなろうと思えば医者になれました(実際医学部に合格はしてます)が、なるつもりは最初からありませんでした。収入は良くても価値観が違ったからです。
仮に無対策状態だった場合で、生産世代から2万人亡くなったとしましょう。
一方、現状の対策を取って、2万人の生産世代の命が救われるとします。この騒動の為に、感染しても被害が本当に軽微な子どもたちが、騒動の犠牲になってます。保育、教育、スポーツ、その他・・・この状態では、子どもを作るのを一旦中断しようと多くの親が思うことで、仮に10万人子どもが減ったとしましょう。
これ、自分としては、8万人の命が失われたと感じるのです。
医療従事者は、目の前で患者さんが亡くなるのを目にすることもあり、現状生きている人の命を優先します。また、価値観もそうなります。それは当然です。
一方政府は、諸々を総合的に判断しないといけません。
経済だけを考えるなら、世界中がコロナを完全に無視して動くのが明らかに最善です。しかし、経済だけを考えることは政治の世界では許されません。じゃあどの程度対策を取るか。完全に価値観の問題なのです。
その上で自分の価値観としては、政府として無対策でいることによって数万人の死者というのは致し方ないと思いますし、アメリカやヨーロッパなどはそういう方向に舵を切り始めました。それも当然予見できた未来です。
ワクチンが出来ない限り、コロナウイルス自体は絶対に無くならないと自分は思っています。そして、それは多くの医療重視者も合意することでしょう。
ここから先は価値観です。どの程度、瞬間の犠牲を受け入れるか。どの程度長期的な犠牲を受け入れるか。
短期的な強い対策は同時に、長期的には産まれるはずだった子どもを犠牲にしているのです。
国民個人としては、ある程度短期的な対策しか取りようがない。しかし、世界各国政府は、もっと長期的な視点で考えるのが正しいのではないかというのが自分の価値観です。
とはいえ、それは民主主義的には政権が倒されてしまうことにもつながるので真に長期的視点のみで動くのもまた難しいのですが・・・