木原直哉オフィシャルブログ

プロポーカープレーヤー、木原直哉が、思ったことを書いていきます。道場やってます。https://lounge.dmm.com/detail/308/

緊急入院 NO1

*退院したときにnoteに書いたものをコピペして、ちょっと編集したものです。

 

 

アメリカ時間2月28日、いつものようにポーカールームに行って、PLOスタート。

9時間ほど打って、途中で立った75-150のミックスゲームに呼ばれたので移動。

日付変わって2月29日。ミックスゲームを1時間も打ってない時に・・・なんか体調が変・・・
変な吐き気がします。
とりあえずトイレに行って吐こうとするも、全く出てこない。
戻っても気持ち悪すぎるので申し訳ないけど抜けることに。
キャッシャーにチップを持っていくも、並んでて、その順番を待つことすらしんどくなって、そのままチップを持って部屋に帰ります。途中でチップをぶちまけてしまって、それなら両替した方が早かったかもという事態も・・・

午前1時過ぎ、部屋に戻り、手を洗ってからベッドに入ります。
多少楽になるかと思いきや、体調はどんどん悪化していきます。おなかが痛くて痛くてしょうがないのです。
ちょっと楽になるかと思って、無理やり吐いてみましたが、全く楽にならず。
仕方がないので、コマースに泊まってた友人二人に連絡して部屋に来てもらうことに。午前2時前。
自分の中では既に救急車で病院に行くことは確定していました。しかし、保険が下りなかったら大変です。とりあえず保険の確認で、友人に保険の連絡を取ってもらいました。今は無料のライン通話で可能なんですね。すると、病院の紹介はせずにそのまま行って建て替えて、あとから清算するということに。
そして、フロントに行って救急車を呼んでもらいます。自分はベッドに寝たままです。

その後、セキュリティーの救護班の人が3人来て、色々話したりします。そうこうしているうちに救急車も到着。運ばれていきます。
病院は、救急車で10分ちょっとだったようです。しかし、自分には20分以上だと感じていました。
車が振動するたびに激痛が走ります。
やっと病院に到着、時刻は午前3時半。

そこで色々質問と、こんな状況でいくつかサインさせられ(そこがアメリカらしいところですw)、ストレッチャーでベッドに。心電図を取り、血液検査をし、点滴を導入します。痛みはどんどん激しくなっていきます。

しばらくして個室に移動。そしてやっと鎮痛剤を投入してもらいます。
しかし、意外なことに、少しだけ・・・楽になった気がするかな程度で、全然楽になりません。1時間前の痛みに戻っただけという状況です。
その後ずっと個室で痛みに耐える時間。向こうも痛み止めを入れてくれているのですが、痛みが上回ります。
この痛みですが、針で深く刺されるような痛みが、波打つことなく延々と続くのです。本当にしんどかった・・・
一回目のCT検査の後、午前9時ころに病名が判明します。腎臓結石。
これが噂の結石かあ・・・

その後、
「流石にこれを投入したら痛みは柔らぐはず」
と看護師が持ってきたのは、モルヒネ
日本では末期がん患者にしか使わない印象の薬ですよね。投入して楽になった・・・かと思いきや、全く効きませんw

午前11時過ぎ。二回目のCTを取るということで移動。車いすに乗せられましたが、この移動がまた非常に苦痛でした。痛みが5割増しになった感じです。

12時、医者が来て
「肝臓に腫瘍がある」
「知ってる、年末に日本で入院した時に見つかったやつ。3センチほどだけど、良性だから経過観察中」
「うん、しかしこれが大きくなってる。今は少なくても4.3センチある。良性でも、ここまで一気に大きくなるなら一応生体検査した方がいい。午後3時から検査しようと思うけど、私だったらまだ若いから絶対検査するよ。どうする?」
「おーけー、分かった」

その後、別の医者がやってきて、
「腫瘍は日本の医者が言うとおりたぶん良性で癌じゃないと思うから安心して」


その後午後3時までの3時間、最大の地獄でした。人生で経験したことがないような痛みが3時間ずっと続きます。これ、いつまで続くんだろう・・・
あまりの痛さに、ナースコールを押して
「スーパーペイン!」
と助けを呼ぶも、なんと来ないwww
アメリカらしいとはいえ、ひどすぎませんか?w

午後3時半、少しだけ痛みが減ってきます。その時に
「検査行きます」
と。てっきり針とかで肝臓の細胞を採取するのかと思いきや、やったのはPET検査。え、生体検査って言わなかった?(英語が通じてないだけかも)

最初はずっと仰向けで1時間ほど撮影します。この時、痛みはすごく減ってきてました。助かった・・・
最後に肝臓を横から取るために左を下にして横向きの体勢・・・
「いたいいたいいたいいたい!!!」
激痛です。しかし、すぐ終わるからそのままの体勢でいろと指示。結局5分ほど頑張って、PET検査は終わりました。

部屋に戻ると、一気に色々楽になりました。メインの痛みが消え、最大値が10としたら、4くらいに。
そのまま仰向けになったまま時間は過ぎます。正直、この時ですら、携帯電話を触ろうという気にすらなりませんでした。もう何もできない、何かすると痛みが増すだけですから。

点滴が入っているので、尿だけ結構たまります。6時間に1回くらい、尿瓶におしっこをするのですが、それがまた大変です。しかし、それ以外は一番ひどいところを脱した感じです。

入院二日目、だいぶ痛みは楽になってきました。
しかし、痛い場所がすこしずつ変化してきたのです。
最初はみぞおちのあたり、おなかの真ん中チョイ上だったのですが、それが右側に移動してきました。どうやら肝臓の血管腫が炎症を起こしているとのこと。
腎臓結石だけだったらそろそろ退院しても良いころのはずなのに、一難去ってまた一難。
病院の先生は、しきりに「手術」と言います。しかし、アメリカで手術をしたらお金がいくらかかるか分かりません。そこをはっきりさせないと!w
すると先生は
「わかった、出来るだけ歩いてみて。それで状態が良くなったら退院して、日本に帰ることにしよう」
そこで、二日目は病棟を10周、およそ700メートルを歩きます。きつい。マラソンをしているかのようなきつさです。
歩くのがこんなに苦しいとは思わなかった。痛いのを我慢すれば歩けるのかと思ってた。しかし、痛くないように変な体勢になると、一気に体に負担がかかるんですね。
それでも3回歩きます。

その日は昼から流動食がスタート。メニューは
・あまったるいゼリー
・あまったるいジュース
・あまったるいシャーベット
・味の薄いスープ
・お湯+ティーバッグ
自分はかなり甘いのが得意な方ですが、流石にこれは堪えました。甘すぎ。でも頑張って完食。
夕方のメニュー。全く同じ・・・
でも頑張って完食。

この日の夜、眠っていて、乾燥から少しせき込みます。
すると当然のように激痛が!
しかし、咳を沈めてリラックスすればまた痛みは消える・・・はずが、横隔膜が
「もう絶対咳は出させない!」
とずっと力を入れてきます。それが肝臓の炎症を思いっきり刺激して、すごく痛みます。
20分経っても横隔膜の緊張は取れません。これはやばい・・・
ナースコールを呼んで、状況を話し、すると鎮痛剤を入れてくれることに。
どの鎮痛剤かは説明なかったですが、もう臭いでわかりました。モルヒネ。これ効かなかったんだよなあと思うも、この痛みに対してはすぐ効果を発揮。
それによって横隔膜の力も弱まり、そのまま眠ることが出来ました。


三日目の朝、全く同じメニュー。
流石に間食できず、ゼリーとシャーベットを残します。
先生がやってきて、
「今日固形のご飯食べて、吐かなかったら明日か、元気なら今日の夜に退院ね!」と。
おお、ついに!そしてきっと昼は固形食かな!?

昼も全く同じ流動食でした・・・
流石にゼリー半分とシャーベットを残しますw

ところで、午前中から、おなかが急に動き始めました。
丸2日間、全く活動を停止していたのですが、体調が復活してきたのです。最初2回は、入院する前に食べた分の便が普通に出てきましたが、その後ずっと下痢状態。
「ああ、これは今日中には帰れないだろうなあ・・」
と思いつつ、午後4時過ぎに最後の下痢を出して、軽く眠ります。
気づいたら午後6時。夕食の時間は始まっているんじゃないの?と思ったら、既に置かれてました。
あけると、非常にまともな食事!
食べても普通に美味しいじゃないですか!
食べていると、6時半に先生がやってきて、
「あ、君、今から退院ね」
え?はや?突然???
下痢おさまってるか分からないよwww

その後、友人を呼んできてもらい、ついに支払いの時間が???と思いきや
「今日は日曜日だから支払い担当の人はいないんだ。いくらかも分からない。支払どうするんだろうね、私たちもわからないや、HAHAHA」
とナースの中心人物的女性が言います・・・
そういうもんなのか・・・w
まあ、メールアドレスがわかってるから、そこに振込先とか来るんだろうな。

その後、薬局に寄って薬をもらい、ホテルに帰宅。その後今これを書いているところです。

帰りの飛行機は明日の午前11時50分。コロナウイルスの影響でまだ席があいてたのは幸運です。

これで24時間後には日本に到着して、おそらくすぐに入院して手術になるんじゃないかなと思います。

今回のロスの旅はこれにて終了です。これからもがんばります。