科学とか科学的思考(論理的思考含む)って、本当に誤解されていると常々思います。科学を勉強していない多くの人が思う「科学」って、往々にして「ニセ科学」です。
そこで、多くの人が誤解している真の科学の側面を書いていきたいと思います。
誤解1:霊とか魂とか神の存在は科学によって否定されている
一番の誤解はこれだと思います。
そういうイメージがあるから、
「霊はいません!」
とか言う科学者の肩書を持つ人がテレビで色々話し、それが科学なのかと科学を知らない人が誤解しているのです。
正しい科学的態度は
「霊や魂や神は存在するかしないか分からない。なので、今の所何も確かな事は言えない」
というものなのです。でもですね、こんなことをテレビで言ってもカットされるわけです。何も言ってないのと同じだから。カットされたくなかったら、また、テレビに呼んで貰いたかったら、視聴者(=ディレクター)が求めることを発言しないといけないのです。
科学者でも、霊や魂や神を存在すると信じている人もいれば、信じていない人も居ます。しかし、科学の研究の場には、そういう哲学的な信念は持ち込んではいけないのです。
ちょっと不正確な表現だったかも。そういう信念の元に、研究対象を選ぶことはOKです。しかし、結果には誠実でなければいけないのです。
魂の存在を信じていたある科学者。死の瞬間に魂が消えるわけだから、質量(重さ)が変化するのではないか。そう考えて、死の前後で重さがほんの僅かに変わるということはないか、調べた人がいます。質量が変化していれば、魂の存在を強く示唆する証拠になるわけです。
結果として質量に変化はなかったわけです。ただ、それは、魂が存在しないという証拠にはならないわけですが。
そして、こういうことは、非常に正しい科学的なあり方なのです。
誤解2:理論的に分からない経験則は科学では正しいと認められない
これも良くある誤解だと思います。
例えば、
「りんごを手から離したら下に落ちる。」
これはまあ、誰でもそう思っている経験則でしょう。10000回やって10000回そうなるなら、また誰がやってもそうなるなら、それは再現性が認められて、
「りんごは下に落ちる」
のは正しいのだと科学は思うわけです。反例が出てくるまでは。
一方、りんごをスペースシャトルに乗せて、宇宙空間(これ、誤解がある表現だけどまあ突っ込まないで下さいw)に持っていきます。
そこでりんごを手から離しても下に落ちません。なんで?
そこで、この法則は
「りんごを地上で手から離したら下に落ちる」
なら正しいとなるわけです。
じゃあなんで地上だったら下に落ちるのに、宇宙空間だったら下に落ちないの?
そういう考察をしていくのが科学的推論なわけです。
とにかく、非常に大切なキーワードとして「再現性」というのがあるのですが、誰がいつやっても再現性がある法則は、理由は分からなくても正しいとみなしましょう、というのが科学的態度なのです。
誤解3:科学とオカルトは相反するものである
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
オカルトとは、
「超自然的なもの」「隠されたもの」
というのが本来の意味です。
科学は、科学的に証明されていないことを否定しません。肯定もしませんが。
逆に、非科学的なことを全否定すること、その態度の方がむしろ「エセ科学」なのです。
片山まさゆき先生の
「牌賊オカルティ」
という麻雀漫画があります。
そこに、科学をデジタルと言い換えたデジタル対オカルトの戦いがあるのですが、自分はあのデジタルクルーズ側の主張は、科学ではなく、「エセ科学」のように見えるのです。
しかし、そこの長である理積さんだけは、そこから一歩踏み出して、真のデジタル、科学的な態度で麻雀に向かっている、そう読めるんですよね。
また、オカルトシステムって、結構合理的じゃない?と思うものも多々あります。ちょっとネタバレ感ありますが、例えば
「アンコ筋のペンチャンは即リーチ」
とか、
「チートイはスジで待て」
とか。
片山先生がどの程度意図しているかはわかりませんが、あの漫画は本当に示唆に富んでると思いますし、麻雀が分かる方は絶対に読むべき本だと思います。
そう、科学とオカルトは相反するものではなく、科学の範疇ではないものがオカルトなのであって、対立構造じゃなくて守備範囲が違うというだけなんですよね。
正しい科学とは何か、その誤解を少しでも解けたらと思って書きました。