ポーカーの「正解」って何?
ポーカーにおける正解って何なのでしょう。
ふと思い立ってこんなアンケートをしてみました。
https://twitter.com/key_poker/status/1193440435726774272
ハンドのプレーを迷った時に、ソルバーに入れてみて
「ああ、これはコールしたほうが正解だったのか」
というような発言を目にします。
こういうのを見て、いつも思うのです。
「正解」って何?と。
数学のように、答えが定まっているものは「正解」は存在します。
ポーカーは、答えが定まっているのでしょうか。
お互いが強い前提での均衡解のプレーとしてはコールが解であるとして、それはあくまで均衡解であって正解ではないのですよね。
「均衡解的にはコールである。しかし、対戦相手が要素がわかっていれば誰もがフォールドする。」
こういう状況の「正解」とは何なんだろう。
アンケート結果では
10/76=13%の人がコールが正解
66/76=87%の人がフォールドが正解
と回答してます。
恐らく、思ったより多くの投票をしてもらえたので、ポーカーをどっぷりプレーしている人以外も投票してくれたのでしょう。そういう人はほぼフォールドを選ぶと思うので、自分の想像よりずっとフォールドが正解という回答が多かったです。
個人的にはこれ、この選択肢自体も正解がなく、宗教論争に近いと思うのです。信念というか。
個人的には、
100%
初級者→殆どがフォールドが正解を選ぶ
10%
中級者→少しコールが正解を選ぶ人が増える
1%
上級者の下→一番、コールが正解を選ぶ率が多い
0.1%
上級者の中→コールが正解を選ぶ人が減りはじめる
0.01%
上級者の上→コールが正解を選ぶ人は激減
0.001%
強いプロ→殆どがフォールドが正解を選ぶ
という感じになりやすいんじゃないかなと思います。やればやるほど、ポーカーって難しいし、「正解」的なものが分かればどんなに楽なんだろうと思うのです。
しかしまあ、87%の人が「フォールドが正解」だとしているわけで、均衡解的なものより、より実戦的なプレーを正解だと思っているわけです。
でも一方で、87%のうちそれなりの人が
「ソルバーによると、コールが正解」
というような表現をついついしてしまっているのではないでしょうか。
自分はそういう表現をよく見ますし、だから気になってこのアンケートを作ってみました。
面白かったので、将棋でもアンケートをしてみました。
https://twitter.com/key_poker/status/1193886339126591488
将棋を問題にしてみました。
これ、自分のフォロワーだから必至をかける方を選択する人が多数派ですが、将棋の棋士のフォロワーだったらどういう結果になるんだろうと気になります。
ただ、自分自身としてはですね、将棋の問題は必至をかけることを選ぶとは思うのですが、将棋の場合は
「不正解だと分かっていて、より勝ちやすい方を選択する」
という思考なんですよね。
自分は、割と一般的に
「これが正解、というものはない」
と思っているのです。
ただ、よく誤解されるのですが、正解が無くても不正解はありえるのですよ。
AKQ65のボードのリバーで、23でオールインすることは正解かもしれないし、正解ではないかも知れない。
しかし、23で相手のオールインをコールすることは確実に不正解と断言出来ます。
将棋も同じじゃないかなと。
次にこちらの玉が詰む状態で、それを放置して攻めるのは
「不正解」
です。対戦ゲームの面白いところは、こちらが不正解を選んだが故に、相手がもっと大きな不正解を犯してくれるということがあるのです。
そもそも、将棋界でよく言われていることですが、
「不利な時はお互いが最善を尽くしたら負けだから、正解は存在しないのでは?」
という話です。ポーカーの場合は運が絡むゲームなのでそういう要素はないですが。
不利な時は相手がミスをしてくれないと絶対に勝てない。それならばどこでミスをしてもらう可能性が高いかを考えるのが最善を尽くすということじゃないだろうか、と。
一方で、有利な時は正解があるのですが、個人的には、
「次善手とされる手でも、有利が続くならばそれは依然として正解である。ただ、それを選ぶことで、その後の正解の幅が狭くなる」
だと思うのです。
評価値的なもので言うと、+1500から+100になる手はまだ正解の範疇だけど、+100から-100になる手は正解ではない、なんじゃないかなと。
でも、人間的には+1500から+100になる手はダメですよね。
なので、人間同士で戦っている以上、結局正解という概念自体が違うんじゃないかと思うわけです。
結局、勝てばOKが勝負ごとの世界です。
将棋の場合は、受けて不利でない局面では
「詰めろを放置する」
のは確実に不正解。ただ、人間要素的に、それによって勝率をあげることが出来るかも知れない。
ポーカーの場合は、こちらの情報は見えてないので、コールされたら負けな23でオールインという行為は不正解ではないのです。そこが完全情報ゲームと不完全情報ゲームの違いなんじゃないかなと思います。
なぜ東大卒は大学名を聞かれた時に「一応東大」と答えるのか
以前、さんま御殿に出演した時に、放送はされなかったけど、トークのトピックとして
「なぜ東大卒の人は出身大学を聞かれた時に、一応東大、と答えるのか」
という話題がありました。確かに!と思ったし、なかなか面白いトピックだなあと。
その時は色々話が出て、色んな人が意見を言ってましたが、結論らしいものは出ず。
よく考えたら、最近は使わなくなったけど、自分も昔結構使ってたなあと。使ってた自分と使わなくなった自分、何が違うんだろう。
その後自分なりの結論が出たのでせっかくなので書きたいと思います。
東大に入ると、本当にびっくりするくらい優秀な人が結構います。
誰の目にも、東大を単なるステップとして、その後もっと活躍する人たちです。
その人を知った後に大学が東大だと聞いて、
「ああ、この人なら東大くらい普通に受かるよね」
というような感じの人です。
そういう人も東大卒だし、ごく普通の社会人になる人も東大卒です。
普通の東大卒としては、そういうスーパー東大卒の人と同じくくりに入れて評価されるのが、スーパー東大卒に対して申し訳ないという気持ちがあるのです。
なので、
「(平凡な自分を、ああいうすごい東大卒と一緒だと自分から言うのは恐縮だけど)一応東大卒です」
という反応になるのです。
京大卒の芸人さんがその時にいて、
「甲子園に行った人が、一応甲子園出場してます、って言うのと同じですよ」
とおっしゃってて、流石芸人さん、うまい例えをするなあ、まさにその通りだと思いました。ちょうど難易度的にも近いと思うし、そのセリフを口にするという意味でも近い
んじゃないでしょうか。
例えば、メジャーリーガーの田中将大投手も甲子園に出場してますが、田中投手が甲子園に出場してると知らなかった人がそれを聞いて
「おおお、すごい」
とはならないですよね。
「まあ、そりゃあそうだよね」
となるかと思います。それどころか、田中投手のような人も甲子園に出てることで、甲子園の価値を上げるような存在です。
「一応甲子園に出てるんです」
というセリフは、
「(田中選手ほど活躍してないし、プロにも行ってないので、そういう人たちと同じくくりに入るのは申し訳ないけど)一応甲子園に出場してます」
の「一応」なんじゃないでしょうか。
自分も昔は自然に使ってました。
しかし、ポーカーで優勝し、その後プロとして頑張っていくと
「勉強と関係ないポーカーのようなゲームをやらせても、やっぱり最初に優勝するのは東大卒なのか、東大ってすごいよね」
と、東大の価値や評価を上げる側になった(当然これ自体は運が良かったのが大きいのですが)。
また、ポーカープロとして、東大に入るよりずっとずっと難しいレベルで戦っているという自負(これは運が良かったとは別のレベルの話)。
それらが手に入って、自然と
「一応」
を言わなくなりました。自覚していたつもりは全く無いのですが。
結局、東大入学(卒業)より難しいと言い切れることを成し遂げたか。それがない時に、つい口にしてしまうのが「一応」というセリフなんじゃないでしょうか。
小さいベットとレイズ、ポーカーの基本原則とGTOに関する誤解
GTOを勉強している人は今は非常に多いです。
自分自身はソルバーをまだ導入してないですが、GTO的な概念についてはそれなりに理解しているつもりです。
で、多くの記事やプレーで、誤解されている点があると感じたので書きます。
http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2018/08/21/134354
http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2018/10/04/150615
以前にいくつか記事を書いてますが、
原則1「大きなベットにはフォールドを多くしてコールは少なく」
(実質的に降りない時のレイズの割合は高くなる)
原則2「小さいベットに対してはフォールドを減らしてコールを多く」
(実質的に降りない時のレイズの割合は小さくなる)
原則3「狭いベット(=強いレンジ)には、フォールドを増やしてコールやレイズを減らす」
原則4「広いベット(=弱いレンジ)には、フォールドを減らしてコールやレイズを増やす」
この4つが基本原則だということを何度も書いてきてます。
しかし、よく聞くのは
「GTOはフロップの小さなベットには高頻度でレイズを返すので、木原の書いてるのは間違いだ」
です。
まあGTOが小さなベットには高頻度でレイズを返す、というのは正しいのですが、考え方の方向としてはかなりずれていると思うのです。
もう一つ、ノーリミット、ポットリミットのポーカーの基本的な考え方として
原則5「広くベット(レイズ)する時は小さめに」
原則6「狭くベット(レイズ)する時は大きめに」
という基本原則があります。(個人的には、この3組6つで基本原則はすべてだと思ってます)
「相手の小さいベット」→「原則5より、相手の広いベット」→「原則4より、広くコールやレイズ」→「レイズする際は、こちらもそこそこ広いので原則5で小さめ」
ということで、そこそこ広く小さめのレイズを返して行くのです。
*追記1
逆に、相手が強い場合は、大きなベット→原則6から相手は狭いベット→原則3からコールやレイズは減らす(特にレイズはもっと減る)
ということが起こるため、対戦相手がしっかりプレーしてくるならば大きなベットに抵抗するうちのレイズの割合は下がります。
しかし、これは原則1の反例なのではなく、原則3の方がより効果が出てくるからであって、相手が同じような組み合わせでベット金額だけ大きい場合は原則1が当てはまるのです。
*追記2
オールインがかなり近いスタックの場合は、レイズしなくてもオールインに届きます。その場合は、大きいベットはよりレイズする価値が下がるのでコールが増えます。
しかし、それはオールインが近いからそうなるのであって、原則1の反例ではないです。だって、ポットが100ドルにスタックが70ドル。相手が70ドルをベットした場合は、レイズは0%ですが、相手が30ドルベットした場合はレイズすることは普通にあります。
あくまでこの原則は、オールインというルールがない状態(=無限スタック)の前提です。実質的にスタックが非常に深い状態でのものです。
この原則を語る際に、フロップのボードがどうだとか、一切出てきてないですよね。
つまりこれらはNLHEに限らず、PLOやPLO8、NLSD2-7、BigO、その他のあらゆるビッグベットゲームで共通の基本原則なのです。
この原則、言っていることは非常に単純で簡単かつ、言われてみたらなるほどと思う内容だと思うのですが、トッププロ以外殆ど認識しておらず、またこの事に言及している記事も殆ど見たことがありません。
恐らく、抽象的な内容過ぎて全然具体的じゃないので、初中級者が好まない内容だからだと思います。
GTOが主張するプレーは、自分の目からみたら、この6原則を本当に忠実に守っているのだと常々感じますし、だからこそ強くバランスが取れているのです。
プロポーカーとポーカープロ
自分の肩書ですが、
「プロポーカープレーヤー」
もしくは
「ポーカープロ」
のどちらかで通してます。本でもツイッターでもブログでもその他すべて。
しかし、色々な依頼で、本当に半分くらいは
「プロポーカー」
という肩書になって来ます。
プロポーカーの木原
という表現がおかしいと言うのは何故か。英語で考えたら良いのですが、「の」というのはこの場合、イコールだと思ってもらえたら良いです。
すると、「木原=ポーカー」
となるのです。
いや、自分はポーカーというゲームじゃないですし・・・
ポーカープロの木原
という表現だと、「木原=プロ」
となります。プロと言うのは専門家の略称なので、論理的に正しいです。
同様に
プロポーカープレーヤーの木原
だと、「木原=プレーヤー」
となります。これもそうですよね。
よく考えると、
「プロ音楽の○○さん」とは言わないですよね。
そういう言い方をするならプロ音楽家の○○さんとか、もっと具体的にピアニストとかバイオリニストとか言います。
では何故そういう誤用が産まれるのか。
それは、「プロ野球」の影響だと自分は思ってます。
プロ野球選手を
「プロ野球の○○さん」
と呼ぶのは、日本電信電話に勤めている人を
「NTTの○○さん」
と呼ぶようなものです。つまり、「プロ野球」と言った場合は、野球のプロと言う意味ではなく、日本野球機構に所属している、という意味合いになるのです。
(念の為。プロ野球には12球団ありますし、各々の選手はそれぞれの球団に所属していてそこから給料を貰ってますが、それはいわば会社の部署のようなもので、大きく考えるとプロ野球選手は全員NPB所属です。ですからドラフトの際に選手は所属先を選ぶことが出来ないのです)
もし、野球のプロプレーヤーの肩書を「プロ野球」と一般的に指すのであれば、
と言って良いわけですが、それって一般的な感覚からするとめちゃくちゃ失礼に当たりますよね。ダルビッシュ選手はメジャーリーグ、MLBに所属していて、日本野球機構には所属していないわけですから。
まとめると、
プロ野球の○○、と言うのは、NTTの○○、というのと同じで、肩書ではなく所属先を指している言葉なのです。
しかし、プロ野球の○○という言い方が浸透しすぎて、あたかも肩書であるかのように使ってしまう人が増え、「野球」の部分を別の競技(自分の場合はポーカー)に無思考に置き換えてしまって使っているのが現状だと思います。
また、一般的に
「木原プロ」
というような使い方をした場合、プロと言う言葉は敬称にあたります。
○○さん、○○先生、○○九段、というのと同様に、○○プロというのはあらゆるプロ選手一般に使える敬称です。
因みに、自分を呼んでくれる場合、敬称としては
「木原さん」
と呼んで貰えると一番自然で自分は好きです。
「肩書」なのか「所属」なのか「敬称」なのか。おなじような「プロ」という言葉が入ってても結構違う意味合いになるので、意識して使い分けるようにすると良いと思います。
ポーカーはスポーツか、2
http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2019/09/18/162632
前回この記事を書いた時に、それなりに反応を頂きました。
その反応に対して、自分が思うことを再度書いてみたいと思います。
結構多くの人がコメントしてくれたのは
「ポーカーは、頭脳スポーツ(=マインドスポーツ)だ」
という内容でした。そうコメントしてくれた方は、以下のベン図ような関係を想定しているのかなと思います。
ほぼすべてのスポーツはゲームというカテゴリの一部である(もしかしたら一部ゲームではないものもあるかも。時間を測らないジョギングとか?)というのはまあ同意が得られるところかと思います。
「スポーツというより、頭脳スポーツって言うなら分かる」
ってことは、ポーカーは図のオレンジの斜線部分だと思っているということでしょうか。
しかし自分は思うのです。
スポーツって枠から外に出ているなら、スポーツって名乗るのおかしくない?と。
自分にとって、頭脳スポーツは以下のベン図のような場所にいるイメージです。
自分が記事で
「ポーカーはスポーツではない」
と書いた時自分の中では、図の関係的に頭脳スポーツ(マインドスポーツ)でもないということは言うまでもない、当然頭脳スポーツでもない、というイメージだったのです。
「チェスはマインドスポーツと認められているから、この意見は間違えている!」
という主張が聞こえて来そうです。
しかしですよ、「チェスはスポーツと認められている」のは本当に世界で圧倒的多数意見なのでしょうか?
一つだけ言えることは、チェスが本当にスポーツと圧倒的に認められているのであれば、これだけの競技人口がいるゲームですから、当然オリンピックの正式種目にとっくの間に入っているはずです。
でも、
「チェスをオリンピック種目に!」
というのは一部の団体が主張し続けているだけで、殆ど多くの人は全く相手にしていない主張ですよね。
自分はポーカーやチェス、囲碁将棋などはスポーツの外、ゲームの内に存在すると思ってます。
頭脳スポーツに入れてもいいかなと思うのは
「格闘ゲーム、ぷよぷよ、(トランプゲームの)スピード、将棋の山崩し」
などでしょうか。
そもそもですよ、頭脳を使わないスポーツって殆どなくないですか?
自分はバレーボールをやってましたが、まさにどこにトスをあげるかとかどこを守るかとか、どんなタイミングでフェイントを入れるかとか、完全に頭脳ゲームの側面もありますよね。でもバレーボールは頭脳ゲームの外側でスポーツの内側に普通はカテゴリされるでしょう。
そうすると、頭脳スポーツとは、頭脳を使うかどうかではなく
「肉体的要素より頭脳的要素の方が強いスポーツ」
とするほうが自然じゃないかなと思うのです。そうすると、一般的なスポーツはそれに対応して「肉体スポーツ」とでも呼びましょうか。
もちろん、頭脳スポーツだって肉体的要素が必須だし、肉体スポーツだって頭脳的要素が不可欠です。比重は違うにせよ。
こういう思考背景で、前回の記事に書いた意味合いで、
「ポーカーはスポーツではない」
し
「ポーカーは頭脳スポーツでもない」
と自分は思っています。
節度のあるギャンブルも駄目、とされるのは何故?
ディズニーランドに遊びに行って、1万円を使うことは合法ですよね。
1万円は絶対にかえってくることはありません。
一方、どんなに負けても5000円の激安麻雀を仲間内でするのは、非合法です。まあ、現実問題でそれを逮捕するということはないけど。
でもですよ、5000円の麻雀をやって、一番勝った人だけ5000円を払わなくて良くて、負けた人は払う、というのなら合法です。
1円でもそれでプラスになる可能性があると非合法。
まあ、法律はしょうがないです。杓子定規に当てはめないといけないものだから、そうなってしまいます。
しかし、極一般的に、節度のある公営ギャンブルをしている人でも
「あの人はギャンブルをやる人だからねえ」
というような評価を受けることは多々あります。これがあまり解せないのです。
週末に、最大1万円まで使う前提で趣味の競馬場に行って馬券を買って楽しむ。
運が良かったら増える。運が悪くても、ディズニーに1日遊びに行ったのと同じ。
これが不健全だと言うのなら、ディズニーランドに遊びに行くのも不健全だということになるのではないでしょうか。
反対派の言うことは
「ギャンブルには中毒性があって、どんどん金額が増えて行くから不健全」
と言うのかも知れませんが、買い物だってその他の遊びだって、ハマりすぎてどんどん金額が増えて行くのは不健全です。一方、金額をしっかり守って小遣いの範囲でやるのなら、どれでも健全じゃないのでしょうか。
結局、それはギャンブルだからだろうと買い物やその他のお金がかかる遊びだろうと、節度が守られていれば健全で、節度を逸していれば不健全なのであって、本来は
「ギャンブルだから」
と言うのは全く理由になってないのです。
今の日本でギャンブルが違法なのは、理由が2つあると思っていて
・ギャンブル=悪、というイメージがある
・公営ギャンブルの収入(=国の収入)が減るから
の2つだと思います。
国的には、2つ目の理由が本音の部分だと思います。特に宝くじ。あんな射幸心を煽りまくりのCMが許されるのはおかしくないですか?でもそれは、国の収入になるからです。
そして、建前として、1つ目の世間一般のイメージを利用している、というのが現状でしょう。
でも本当は、ギャンブル=悪、なのではなくて、節度を持って遊ぶことが出来ないことが悪、なのです。法律で禁止されてないもので、節度を持って遊べて無くて人生が破綻してしまっている人は多々います。買い物とか、禁止するわけにも行かないですし。
「ギャンブルは節度を逸脱しやすいから、節度を守れる人も一律に禁止にせざるを得ない」
という反論が来そうですが、結局現状公営ギャンブルがあるから意味がないし、そもそも節度を逸脱してしまう人は、ギャンブルでなくても逸脱してしまうんですよ。ギャンブル依存症の人が、ギャンブルが無かったらまともな生活が送れたはずだと言っても、大体は勘違いです。
買い物だと、同じ依存状態でもそれが外から見ただけで分かるのに時間がかかるけど、ギャンブルだと可視化しやすい。
そういう依存しやすい人を可視化しやすいカジノに集めて、収益からそれなりのお金をそういう人の更生プログラムに回しているのが海外のカジノで行われている取り組みです。
節度と法律を守って遊んでいるにも関わらず存在する悪いイメージ。これを国に利用されている状態だと思ってます。そして、依存状態の人は放置されている。
ただ、節度って難しいですよね・・・
月収20万円の人が毎月5万円使ってたら節度を超えてると思うけど、月収1億円の人が毎月100万円使うのは明らかに節度の範囲内です。
結局、一ヶ月に使う金額が、外食(飲みに行ったりするのを含む)に使う金額の範囲かどうか、かなあと思ったりしてます。
とにかく、いいたいのは、法改正云々とか政治的なことでは無くて、
「節度のあるギャンブルは別に問題ないよね、ディズニーに遊びに行くのと同じじゃん」
という雰囲気が広がったら良いよね、と思うのです。
リプレイ
WCOOPも佳境に入ってますね。
ところで、ファイナルテーブルのリプレイを見る方法、知ってますか?
世界のトッププロの真剣勝負を、ハンド公開で見るチャンスです。
知らないとたどり着けない可能性が高いです。
トーナメントタブを開き、左上のfavoritesを押します。
すると、サンデーミリオンとかサンデーストームとかの過去のリプレイ一覧が出てきます。
それを下の方にスクロールしていって、真ん中くらいに行くとあります。
個人的には、ミックスゲーム系のHイベントをお勧めします。
また、25番の25kハイローラーは、今世界で一番強い人の一人と言われているtruetellerのガチプレーをハンド付きで見ることが出来ます。
他のプレーヤーも鬼プレーヤーだらけです。お勧めです。
ちなみに、自分のイベントは23番のHです。見返してみて、引けてるけど、結構いいプレーが出来てて自画自賛です!是非!