以前、さんま御殿に出演した時に、放送はされなかったけど、トークのトピックとして
「なぜ東大卒の人は出身大学を聞かれた時に、一応東大、と答えるのか」
という話題がありました。確かに!と思ったし、なかなか面白いトピックだなあと。
その時は色々話が出て、色んな人が意見を言ってましたが、結論らしいものは出ず。
よく考えたら、最近は使わなくなったけど、自分も昔結構使ってたなあと。使ってた自分と使わなくなった自分、何が違うんだろう。
その後自分なりの結論が出たのでせっかくなので書きたいと思います。
東大に入ると、本当にびっくりするくらい優秀な人が結構います。
誰の目にも、東大を単なるステップとして、その後もっと活躍する人たちです。
その人を知った後に大学が東大だと聞いて、
「ああ、この人なら東大くらい普通に受かるよね」
というような感じの人です。
そういう人も東大卒だし、ごく普通の社会人になる人も東大卒です。
普通の東大卒としては、そういうスーパー東大卒の人と同じくくりに入れて評価されるのが、スーパー東大卒に対して申し訳ないという気持ちがあるのです。
なので、
「(平凡な自分を、ああいうすごい東大卒と一緒だと自分から言うのは恐縮だけど)一応東大卒です」
という反応になるのです。
京大卒の芸人さんがその時にいて、
「甲子園に行った人が、一応甲子園出場してます、って言うのと同じですよ」
とおっしゃってて、流石芸人さん、うまい例えをするなあ、まさにその通りだと思いました。ちょうど難易度的にも近いと思うし、そのセリフを口にするという意味でも近い
んじゃないでしょうか。
例えば、メジャーリーガーの田中将大投手も甲子園に出場してますが、田中投手が甲子園に出場してると知らなかった人がそれを聞いて
「おおお、すごい」
とはならないですよね。
「まあ、そりゃあそうだよね」
となるかと思います。それどころか、田中投手のような人も甲子園に出てることで、甲子園の価値を上げるような存在です。
「一応甲子園に出てるんです」
というセリフは、
「(田中選手ほど活躍してないし、プロにも行ってないので、そういう人たちと同じくくりに入るのは申し訳ないけど)一応甲子園に出場してます」
の「一応」なんじゃないでしょうか。
自分も昔は自然に使ってました。
しかし、ポーカーで優勝し、その後プロとして頑張っていくと
「勉強と関係ないポーカーのようなゲームをやらせても、やっぱり最初に優勝するのは東大卒なのか、東大ってすごいよね」
と、東大の価値や評価を上げる側になった(当然これ自体は運が良かったのが大きいのですが)。
また、ポーカープロとして、東大に入るよりずっとずっと難しいレベルで戦っているという自負(これは運が良かったとは別のレベルの話)。
それらが手に入って、自然と
「一応」
を言わなくなりました。自覚していたつもりは全く無いのですが。
結局、東大入学(卒業)より難しいと言い切れることを成し遂げたか。それがない時に、つい口にしてしまうのが「一応」というセリフなんじゃないでしょうか。