ポーカーだったら、
「俺のプレースタイルはルースアグレだから」
麻雀だと
「私は面前派だから」
とか、将棋だと
「自分は振り飛車党だから」「受けの気風だから」
とか、囲碁だと
「厚み派だから」
というような言い方をしますよね。
いつも思うのですが、○○派とか○○党だからこうする、というのはすごく間違えていると思うのです。
本来○○派というのは、その他の戦法と比べて○○という戦法が他の人が思っているより得であるという信念に基づくものであるべきです。
門前派は、鳴き麻雀より門前で進めて行くのが得だと思うから門前でいく。
振り飛車党は、居飛車で行くより振り飛車のほうが得だと思うから飛車を振る。
もちろん、その得と言うのは、すごく強いAIから見た正解の数値ではなく、人間がミスをする前提で、自分のミスのしづらさ/相手のミスのしやすさ、を加味した上での損得で良いのですが。
そういう視点で考えると、
「こうした方が得じゃない?」
という指摘に対して、
「でも、ボクは○○派だから」
という返しをするのを見ることは良くあるのですが、これは非常に返しとしてずれているのではないでしょうか。
○○派なのは、平均的に言われているより○○が得だと思っている人の集まり、なわけです。つまり、それは結果であって、理由とか原因ではないんですよね。この返しが
「ソッチのほうが本当は得かもだけど、そっちのプレーだとミスしやすいからボクにとってはこっちが得だと思う」
なら良いと思うのです。
もちろん、アマチュアの人がゲームをするのは何故かと言うと、いちばん大切なのは
「楽しい」
ことです。その人が、振飛車で豪快にさばいて勝つことが出来たら最高の幸せを感じる、勝率を多少犠牲にしても、というのであれば、その人にとっての「得」は、振り飛車を採用することでしょう。
しかし、それはプロの取り組み方ではないんじゃないかなとも思います。
「得」をどう決めてもいいけど、プレースタイルがどうだから〇〇というのは縛りでしかないです。繰り返しますが、得を求めた先に結果としてプレースタイルがあるのです。
よく、
「タイトアグレッシブな人はこういう状況だとどうした方が良いですか?」
とか聞かれることが良くあります。でもそれ、質問変じゃない?と思うのです。
また似た感じで
「芯のあるプレースタイルを持ってる人が強い」
という事を言うツイートや記事を見たりしますが、中級者になるためには有力なので初心者に勧める分にはいいけど、それそのものが主張だと、「すごく強い人」ではないんだろうなと思ったりするのです。
そしてそれは、ポーカー、麻雀、将棋、囲碁、その他どんなゲームにも当てはまるんじゃないでしょうか。