木原直哉オフィシャルブログ

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上野千鶴子さんの東大祝辞を読んでの感想

ちょっと時間があったので、話題になった上野千鶴子さんの東大祝辞を読んでみました。

 

これ、一般的な記事としては、いくつかの正確性の微妙な表現を除けば(そしてそれはこういう話す場ではしょうがないです)良い発言じゃないでしょうか。

もしこれが雑誌の記事だったりすると高評価なのは分かります。

しかしこれ、前半の2/3は、最初から東大への新入生へ向けた発言じゃなく、それをこうやって記事として引用してもらいたいが為の、記事化された先の読者へのメッセージにしか読み取れません。

そして、それなりに話題になって記事として取り上げられてもらえることを計算した上でのこの祝辞であると感じるのです。

 

後半の1/3は、本当に東大生へのメッセージとして良いものだと思います。

「いままで努力は報われると信じてきたものは環境のおかげだ」

という発言などは結構本質的だと思うし、頑張っても報われない事がある、ということをこれから頑張っていく新入生の祝辞で言うなんて、的な批判もあるけど、むしろそういうことをこの段階で知識として教えておくのは有益だと自分は思います。

 

しかしだからこそ、TPOをわきまえておらず、明らかにこの場を利用した序盤の2/3の発言が残念でなりません。そうやって議論をしてもらえたこと自体が、上野先生からするとしてやったりくらいに今は思っているでしょう。しかし、彼女の政治的な意見を広める場として東大入学式が「利用された」のであって、発言内容が良いからとこのスピーチを全肯定するのはおかしいと自分は思うのです。

「それくらいしないと社会は変わらないから」

というような擁護はあるかもだけど、だからといって入学式を私用するのは良くないと自分は思うのです。

 

全く同じスピーチが、仮に有名芸能人の結婚式であったらどうでしょうか。

内容は良くても明らかに場違いだし、結婚式が台無しにされたと感じるでしょう。

それに近いものを感じるのです。

 

繰り返しますが、この序の2/3の発言は最初から東大生へ向けたものではなく、その後ろの記者と読者に向けたものであったこと。祝辞なので、厳しいことを言うのも含めて内容のすべてが東大新入生への言葉であるべきなのに、あえてTPOをわきまえずに、しかも拡散されやすいことを計算の上で、新入生向けでない発言をしたこと。そこに自分はこのスピーチの場違い感があるし、現地に居た新入生による批判はそれを感じ取ったのだと思います。