相対的と絶対的、良いと悪い
ツイッターとかで見ていて、よく思うのです。
相対と絶対を混同して使っている人があまりにも多い、と。
主に、「良い」「悪い」という言葉に関して。
「良い」「悪い」とか、「大きい」「小さい」、「多い」「少ない」、「強い」「弱い」と言うのは、相対的な評価を表す言葉です。
ある日本人の身長185センチと言うと文句なく「大きい」ですよね。それは平均的な日本人と比較しているわけです。一方、NBA選手の身長が185センチと言うと、「小さい」です。それは平均的なNBA選手の身長と比較するからです。
身長185センチという数字が、絶対的に大きかったり小さかったりはしないのです。
良い悪いも同様で、比較でしか語れないものなのです。
よく治安の問題で
「日本でもこういう事例はある。だから日本が治安が良いなんて言えない」
という文章を目にします。
でもですよ、「良い」は比較を表す言葉なので、それより治安が良い国をそれなりに指摘しないと
「日本の治安が良いとは言えない」
という発言は間違いなのです。
そして、「良い悪い」は相対でしかないので、
「良い=改善するところがない」
でもないのです。
他と比較して、確かに良い。でもまだ良くする余地はある。そこを良くしていこう、となるのです。
藤井聡太二冠は将棋が強い。これを否定できる人はほぼいないでしょう。
しかし、藤井聡太二冠でも、まだまだ強くなれる部分はめちゃくちゃたくさんある。
なので、
「○○という事件があるから、日本は治安が良くない」
と主張した人がいたら、それに対する感想としては
「良い、という言葉の定義を勘違いしているし、それによって「から」という言葉が何も因果も示せてない」
となるのです。
これがもし、比較対象が
「話者の理想とする完全に犯罪がない世界」
だったとしたら。
それなら、
「日本の治安は良くない」
と言って良いでしょう。
しかし、理想とする世界との比較なら、世の中全て治安は悪いことになるし、「日本の」と限定する意味もないし、そもそもこの文章自体何も意味しません。
「藤井聡太二冠は将棋の神様と比べたら弱い」
うん、正しいですよ。で、それで何を言いたいの?その文章に何の情報価値もないよね?となるのです。