木原直哉オフィシャルブログ

プロポーカープレーヤー、木原直哉が、思ったことを書いていきます。道場やってます。https://lounge.dmm.com/detail/308/

LGBT問題について

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この記事を読んで、ちょっと色々思ったので書こうと思います。

ちなみにポーカー界にはLGBTを公言している人が結構多いので(Vanessa SelbstやJason Somervillなどが有名ですね)、自分はそういう人と付き合いも多く、かなり仲がいい人も結構います。

 

記事の中間位の

 

”変わらず明るい話しぶりなのですが、後半は、悩んでいるようでもあります。
 「理解しなければと分かっているのに」と。”

 

 

自分はこれがそもそもの誤りなんじゃないかと思ってます。

例えば、背が高い人は背が低い人の気持ちなんて分からないです。

運動能力が高い人は運動能力が低い人の気持ちなんて分からないです。

自分はどちらも、日本人平均より若干下、くらいなので、もっと背が低い人の気持ちや、もっと運動能力が低い人の気持ちも分かることは難しいとも思います。

すべての要素で平均より上、という人なんていないし、そういう人でも自分が平均より下の部分を理解して欲しいと思わないはずです。

そもそも、背や運動能力が高いことは背が低いことよりも「人間として絶対的に優れている」ことなのでしょうか?

「高い」「低い」という言葉を使わざるを得ないけど、高い=良い、なんて誰が決めたのでしょうか?

 

親しい人には自分のことを理解して欲しいとは思うけれども、背が低い人の気持ちを世間一般が広く共有しなければならないとは自分はとても思わないです。

同様に、LGBTの人の気持ちも、世間一般の人が理解しなければならない、ということでもないと思います。

 

背が低い人に対して、

「やーい、チビ」

と言って揶揄することは正しくないことである。これは多くの人が正しいと認めると思うのですが、心の中で(あの人は背が小さいから○○)と思うこと自体に罪は無いとも自分は思うのです。口や行動に出してはいけないというだけであって。

LBGT問題って、単にそれだけのことなんじゃないかなと自分は思うのです。

 

 

後半で「普通」について書かれてます。

「普通」って言葉って、どういう意味なんだろう。

辞書によると、

「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。」

とのこと。LGBTは人口の5%から10%くらい。どの範囲からありふれたものと言うのかも難しいですが、1000人いたら50人から100人と聞けばありふれているとも言えるし、降水確率が10%の日に雨が降ったら普通じゃないことに感じるのでありふれていないとも言えるのかも。

どの程度ありふれているかを表す指標として標準偏差とか偏差値というものがあるけれど、5%から10%って偏差値で言うと66から70、もしくは34から30。普通?普通じゃない?うーん、難しい。少なくてもLGBTであることは「普通ではない」と言ってそこまで大きく間違いでもない数字だと思います。

これだけ書くとすごく勘違いされそうだけど、そもそも「普通=良い」「普通じゃない=悪い」なんて誰が決めたんでしょうか。

自分の職業はポーカープロです。

誰がどう見ても、「普通じゃない」職業です。誰かに中立的な意味合いで「普通じゃない職業だよね」と言われても「そうだね」としか言えないです。普通じゃないけど、自分は普通じゃないことをやっていることに誇りを持ってます。別に「普通の職業」を見下しているわけでもないし、単にベクトルが違うだけ。

ただそれだけですし、自分の職業が世間一般に正確に理解してほしいとも思わ・・・いや、少しは思うけど(笑)、別に理解されなくても別にしょうがないとは思ってますし、それで傷ついたりすることは無いです。だって、ポーカーや類似のゲームをやったことがない人にこの仕事を理解するのは無理だと思いますし、少なくても18歳当時の自分には絶対理解できないと思います。

 

LGBTについても、身の回りであまりそういう人がいないのであれば、その人にとっては「普通じゃない」んです。それを無理に「普通なことなんだと思わないといけない」と思うから難しい問題になるだけなんじゃないかなと、自分は思うわけです。

 

 

まとめると、「普通=良い」という刷り込みがあり、だから「普通じゃないなんて思ってはいけない」と思ってしまう事がことを難しくしているんです。

「普通かどうかと良い悪いは別物である」と心から思ってると、「普通じゃないけど、だから何?」くらいに思うようになるし、そういう感じに考えるのがいいんじゃないかなと自分は思います。