木原直哉オフィシャルブログ

プロポーカープレーヤー、木原直哉が、思ったことを書いていきます。道場やってます。https://lounge.dmm.com/detail/308/

PLOの勝率イメージ


https://gyazo.com/2a4f29872b5747bc2a37830e1a69088c

 

AA85r対AKQ2ds対8754ssの3ウエイ。プリフロップの勝率イメージは?

 

 

https://gyazo.com/1894c58a736ebc1692b5f4dfc7ab0a35

正解はこちら。

AA85が一番弱く、AKQ2dsが一番強いという、何ともびっくりな結果でした。

8754ssが一番強いというのならまだ分かるのですけどね。

 

ちょっと色々いじって見ました。

5s→5dにして、ダイヤをドミネイトさせてみました。

https://gyazo.com/0095588bb2d2556a3cb300424e572061

3人が大体並びましたね。

8754の勝率が0.15%下がってますね。スペードの代わりにダイヤが1枚多く使われるのですが、ダイヤはたくさん出ててスペードの方が少ないから、それに対するブロッカーという意味ですね。

 

5s→5cにしてみました。今度はダイヤをドミネイトしてない代わりに、クラブのスートになりました。

https://gyazo.com/5bfe024907535c65e8da34f8f673f733

おおお、AAが一気にベストハンドに。

スートをドミネイトするより、誰も持ってない強いスートを持つ方がずっと価値が高いんですね。

 

最後にまとめて3つ。

https://gyazo.com/6dd895bd60d133f6d70d5b58e8ae35e4

 

面白いハンドだったと思います。

「プロ」の定義

「ポーカープロって、どうやったらなれるのですか?」

とは良く聞かれることです。

 

囲碁、将棋、野球、サッカーは、まあ誰もが認めるハッキリとした線引きがあります。

一方、ポーカー、麻雀、テニスなどは、はっきりした線引はなくて、人によって違います。そこで、自分なりの「プロ」の定義を書きたいと思います。

ただ、あくまでこれは自分の定義であって、それをみんなが認めるべきだというつもりはありませんので、あらかじめ。

 

「プロ」とは英語のprofessionalから来てます。professionalの日本語訳は

・職業の

・専門的な

・専門家としての

などの訳が出てきます。その訳語には、団体に所属しているかどうかは出てきません。

https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/professional

英英辞書を見ても、やはり

「job, paid, trained」

がキーワードになってます。

なので、自分としてのプロの定義は

「それをすることを収入のメインとしている人」

だと思っています。収入のメインに出来るには当然スキルが高くないと無理なので、スキル云々はそこに内包されているものだと思っています。

一方、プロ団体に所属していて、団体から

○○プロ

という肩書を与えられていても、それが収入に直結していない場合は、サークル活動の仲間内の呼称と同じだと思っています。

逆に、団体に所属していたり契約を貰っていなくても、それを収入のメインにしていればプロです。

麻雀で言えば、阿佐田哲也麻雀放浪記に出てくるような人はプロだけど、今の麻雀団体に所属している人の9割は自分の定義的にはプロじゃないと思ってます。

 

ところで、囲碁将棋野球サッカーの場合、それらのプロ組織の地位が非常に高いため、プロがアマにスキルで劣ることは非常に少ないです。

しかし、ポーカーや麻雀のように、プロの地位がそこまで高くない世界の場合、プロの平均よりもずっと強いアマ、というのがたくさん存在するのです。

そう、「プロじゃない」と言った時に、自分はスキル的に下に見ているという意味ではなく、それを元に食ってない、ということしか言っていないわけです。

投資家のcisさんがポーカーが強いことはかなり知られていると思います。

cisさんはポーカーはアマチュアです。ポーカーで食っていないので。しかし、ポーカーで飯を食っている人のうち、9割以上はcisさんにNLHEで負け越します。自分でも正直、負け越す可能性のほうが高いと思います。NLHE以外のポーカーならどれでも勝ち越せる自信はありますが。

 

麻雀で言うと、Mリーガーになる直前のアサピンさんは、誰の定義でもアマチュアだったはずです。しかし、麻雀でアサピンさんに勝ち越せる人は団体に所属していてそれで食べているような、誰もが認めるプロでも少数派だったでしょう。

また、自分の定義ではアマチュアの「プロ団体に所属している雀士」が、裏麻雀で食べているプロ(今でもいるのかな?いても少数だとは思うけど)よりもスキル的に上であるということも当然たくさんあると思います。

 

難しいのは、

「定期的に収入は得ているけど、収入のメインではない」

というパターンです。

この場合、自分は

セミプロ」

と呼ぶのがふさわしいかなと思ってます。ちょうど自分がバックギャモンで一時期そういう感じだったように。いわゆる副業ですね。そして、今の時代はこの「セミプロ」の層のレベルが跳ね上がっている時代かもしれません。

 

 

これからの時代、ゲームのプロは1つの職業の選択肢として残り続けると思いますが、一方で趣味としてやりながらも非常に好成績を残す人も増えるでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E7%A7%80%E8%87%B3

囲碁の坂井先生。

京大医学部卒で医者になり、その後プロ編入試験を経てプロ棋士になり、7大タイトル獲得+名人リーグ8期所属。

プロ入り後の実績を見れば、坂井先生がアマチュアだったときでも、坂井先生に勝ち越せたプロ棋士は一握りだったのではないでしょうか。まさにプロより強いアマ。

そして、タイトルにはもう絡めないと思うからと、今年、実質的に引退して医者に戻るという選択。世間的には違うかもだけど、自分の定義的にはアマチュアに戻るわけです。今の坂井先生に勝ち越せるプロ棋士もやはり少数でしょうが。

 

坂井先生が特別なバケモノなのは間違いないけど、今後はAIの影響もあって、そういう人がどんどん出てくると思います。

結局、「プロ」というのは単なる職業の選択に過ぎず(職業に出来るくらいだから最低限のスキルはあるのは間違いないけど)、アマも職業の選択に過ぎません。

プロはアマより強いことは保証されてないし、プロもアマに負けてはいけないという時代ではなくなるとも思うのです。

その代わり、プロとして食べていくためには、食べていけるだけの何らかのモノを持っていることが求められていくのかなとも思ってます。勿論プロである以上、いちばん大切なのはその専門のスキルなり知識ですが、それだけだと本当にトップの数人以外はダメで、他に何らかのスキルや経験、行動などを持つことが求められる時代なんじゃないかと思います。

 

 

オンラインでどのレートを勝てればライブで勝てますか?について

オンラインでどこまで勝てたらライブで勝てますか?とは本当によく聞かれます。

それなりに真剣に聞かれているのは分かるのですが、いつも

「勝つ」

の定義について、もやっとしながら答えています。

 

オンライン側の定義は、まあ分散とか色々あるけど、ZOOMで10万ハンド打ってレーク以上にプラスしてればいいかな、という感じでまあ問題ないとは思うのです。

問題はライブの方。

 

ライブは、実収支の他に色々費用もかかります。

更に、ポーカーは分散が大きいゲームにも関わらず、ライブはハンド数がこなせません。

 

そういう状況で、「ライブで勝てますか?」とはどのラインなのでしょう。

 

1、ゲームだけでわずかでも期待値プラスの状態

2、そのゲームを1日平均8時間打って、ホテルや渡航費まで出せる状態

3、そのゲームを1日平均8時間打って、ホテルや渡航費+下ぶれた時の補填まで出来る状態

 

1から3では全然求める勝ちが違います。

1、

一番簡単です。どのステークスでもいいから、1bb/100あれば良いです。

でも、それってライブで勝てると言っていいのか結構意見が分かれるところです。

 

2、

仮に5/10打って、平均的に15bb/日くらい勝てないといけないです。

2bb/時間。1時間あたり25ハンドとすると、8bb/100。

でもこれは、勝った分がそのまま経費で消えます。

ライブで勝ってはいるかもだけど、お金は増えないですよね。これって勝っていると言っていいの?

 

3、

勝った分が経費で消えるならお金は増えないので、下振れたタイミングで破産します。

トータルでお金がそれなりに増えていってくれないと困る。

そういう前提では、3bb/時間。1時間あたり25ハンドとすると、12bb/100。

これだけあればまあライブで勝てると誰もが言えるレベルでしょう。

 

 

そして、分かると思うけど、+1bb/100と+12bb/100って、すごい実力差ですよね。例えは適当ですが、中学軟式野球のレギュラーなのか、甲子園出場チームのレギュラーなのか、くらい差があります。

「ライブで勝てますか?」

と聞かれた時に、相手がどこを想定しているのか分からないのです。

 

さらに、ライブ特有の要素があります。

時間のテル、仕草のテル。チップの出し方のテル。

その反対側として、相手のテルを読み取る能力。

分散の大きさに対するメンタル面。

暇でも待ち続ける忍耐力。

しっかり稼働し続ける真面目さと体力。

 

 

自分の感覚では

0.05/0.1ZOOMで10万ハンドで0以上でプレー出来ていれば、

「ライブの傷さえなかったら」

1の意味で長期的にはプラスゲームであると思います。

一方、3の意味でプラスするには、

「ライブの傷さえなかったら」

0.1/0.25で10万ハンドで0以上でプレー出来ていてほしいと思うけど、

「ライブの相手の傷を突く」

ことに長けていれば、0.1/0.25ZOOMを勝てなくても、5/10で3の意味でプラスすることは出来ます。

 

聞かれた時に、毎回こんなクドく言うのも微妙だし、取り敢えず

「ライブの傷さえなかったら、10-20までは100倍のレートまでOK」

的なことを言っちゃいます。せっかく記事にするのでしっかり書くと、本格的にはこんな感じかなと思います。

とか言いつつ、「勝てると言われたのに、トータル負けて帰って来たんだけど!!」的な事を言われるんじゃないかと心配になったりも毎回しますが。分散があるゲームなのでしょうがないし、多くの人はわかってくれるけど、聞いた人がどういう人かなんて分からないですからね。

 

ポーカーの進化とツールの影響2

http://kihara-poker.hatenablog.com/entry/2019/12/03/142417

こちらの続編です。

 

AIの出現を超えるインパクトとは何かというと、統計ツール(ポーカートラッカー。HMは後追いのソフト)とHUDの登場です。

「え?そんなこと?」

と多くの読者の声が聞こえて来ました。この変化の大きさは、統計ツールが当たり前だと思っている多くの層にはピンと来ないかもしれません。

 

HUDの登場以前は、

「ボタンからめっちゃルースな人がオープンして」

と言った時に、そのルースが60%なのか70%なのか80%なのか全く区別出来ませんでした。同様に、タイトな人がオープンして、と言っても、ボタンの参加が25%なのか30%なのか35%なのか。とにかく、

「ルース」「タイト」「標準」「アグレ」「3ベットが多い」

と言った情報を伝えたり、もしくは考えたりする際に、基準となる数字というものが存在しなかったのです。

また、プレーした結果を統計的に見返すことも不可能でした。

なので、COからQToで参加することがプラスなのかマイナスなのか、それを判断することも出来ない。全て感覚でやるしかなかったのです。

本当に強いプレーヤーは、レンジという概念は多分持ってました(自分は当時は駆け出しなので、ここは推測でしか無いです)。しかし、全体の参加率何%という概念はおそらく持ってなかったです。というのは、それを調べる方法もわからない上に、考えたところで実戦に応用するのが難しかったからです。

つまり歴史的には、全体の参加率何%という概念より、レンジという概念の方が古いのです。

 

この変化は非常に大きかったです。

人間の感覚は、失うお金と得るお金だったら、失うお金の方が大きく感じます。これは世界共通です。

3ベットするとポットは大きくなりますが、3ベットポットで負けると大きく負けます。なので、ボタンのオープンに対してのSBから、TT+,AQ+だけでの3ベットをするプレーヤーは比較的3ベットが多め、というクラスだったのです。

しかし、ツールが出てきたことで、どの程度3ベットに降ろすことが出来るかの数字が目に見えて分かるようになります。平均的に70%おろせたとします(当時は結構リアルに降ろせました)。

すると、ちょっと計算力がある人なら、エニハンで3ベットしても期待値がプラスであると気づくのです。

そう、70%降ろせれば+EVというのも、どれくらい降ろせれば+EVなのかという数字はわかってても、それが実際どれくらい成功しているかを把握することが出来ないため、全然現実的じゃなかったのです。

HUDが登場して、一部の人が3ベットの有効性に気づきます。当時は対3ベットを上手くプレーできる人は殆どいなかったので、めちゃくちゃ利益が上がります。

すると、3ベット率15%というようなプレーヤーと、3ベット率5%(それでも上がった方)というプレーヤーにプールが二分されていきます。

そこでより勝ったのは・・・15%側でした。

2010年から2011年あたりにかけて、ポーカーが一気にアグレだらけになった時代があるのです。アグレであることが正義、そういう時代です。プリフロップにコールボタンは要らないと言っていい、というようなことを言うプロも結構いました。今の目から見たら当然、それは本来のバランスではなくやりすぎです。上のレートから次第に、そういうプレーヤーを食う技術が生まれ(ライト4ベット、小さいオープン、3ベットコールからのフローティング、モンスターハンドのスロープレイ)、下のレートまで広まっていき、2014年頃はやりすぎプレーヤーはカモ扱いされるようになります。2014年から2015年はかなりバランスの取れたプレイを志向していく時代です。そんな時に登場したのがAIです。ポーカースノーウイーの誕生は2013年で、2015年辺りに結構話題になりました。ソルバーは2014か2015に登場し、大きく話題になったのは2016年ですね。

 

ちなみに、この間はアメリカでオンラインポーカーがちょうどできなくなった時期でもあります。アメリカ人でオンラインで稼いでいた人は、ライブに以降するわけですが、オンラインをやらずにプレーを進歩させるのは至難です。なので、アメリカの5/10あたりで、進歩した戦略でアグレを食うことが非常に利益が上がるのです。

大体、オンラインで流行ったプレイは、2,3年経ってライブでも流行る傾向にあります。情報の伝達速度がそれくらい違うんですよね。で、一昔の戦略を食うために新しい戦略が生まれるわけで、ライブに行くと常に1時代古い戦略がはびこっているので、オンラインでしっかり打ち込んでいる人からすると、ライブもレベルアップしているにも関わらず、そこで稼いでいるプロですら常に美味しい、という状況が2010年代だったのです。

 

 

最後、話がそれてしまいましたが、ポーカーの進化に最も革命をもたらしたもの、それはHUDである、というのが自分の結論です。

 

ポーカーの進化とツールの影響1

ポーカーは比較的新しいゲームだということもあり、非常に速いスピードで進化しています。そして、それについて行けなくなったプロがどんどん駆逐されていく世界でもあります。

ポーカーにおける進歩という意味で、AIが占める位置づけはどの程度なのか。AIが出てくる以前と以降のプレーの差はどうなのか。そこを、ガッツリポーカーをやっている人向けに書いていきたいと思います。

 

AI(主にスノーウイーとソルバーを意識してます。ソルバーをAIと読んでいいかは議論の余地があるけど)が出てきて変わったプレーは大きく分けて2つ。

1、フロップやターンでのオーバーベット

2、ウエットなボードでの小さなベット

3、複数のべットサイズのバランス

この3つだと思います。

以前は、ボードによってべットサイズを変えるのはOKだけど、ハンドによってべットサイズを変えるのは良くないとされてました。

変えたほうがそのハンド単体で見たら得なことはそれなりにあるけど、そうすると他のハンドの時にバレてしまう。不完全情報ゲームでこちらの戦略がバレるリスクは非常に大きく、また強いプレーヤーはそういう相手のベットのサイズやタイミングや頻度などの変化に非常に繊細に対応してました。というか、今でも対応してます。

端的に言うと、ブラフは小さく打ちたいし、そこそこの強さのハンドは中くらいに打ちたいし、モンスターは大きく打ちたい。でもそうするとバレる。ばれないために全部中くらいに打とうよ、的な。

しかし、AIが登場して、変わったのは

「しっかりバランスを取って変化させたほうがもっと得じゃない?どうせポーカーはフロップターンリバーの3つしか無いんだから」

という感覚です。

ボタンがオープンしてBBがコール。

フロップAQ7ss

この時に、ボタンのCBのサイズが50%と150%の2通り使い分けるとして、50%のときと150%のときがハンドの構成が変わってきます。

50%にはエアーとそこそこのハンドと強めのドローが多く含まれ、セットなどは少なめ、的な。150%を打つ時は2ペア+がかなり含まれ、またガットショットもかなりこちらに組み込まれます。

全部70%で打つより小さくブラフできるし、強いハンドで大きく打てます。

ただ、これは少しでもバランスが崩れると単なるベットテルと変わらなくなり、そこを突かれると大きくやられてしまうことになるのです。そして、人間にはその繊細なバランスを保つのが非常に難しいのです。

以前はこのボードなら打つ時は全部70%でいいじゃん。と思われてたのですが、AIはむしろそういうバランスを取ることが得意だし、妥協という概念もないので、とことん得しようとしてきます。そして、AIがバランスの取れたオーバーベットを含むバランスの取れた複数サイズのプレーを示すようになります。人間が自分でバランスを組み立てなくて良い、AIが示したバランスを大体どういうことか考え、プレーに利用する。それこそがAIが出現したことによるプレーの進化です。

 

しかし、です。繊細なバランスを達成することが出来た(事によって、べットサイズを複数使ってプレーできるようになった)のはAIによるものですが、その概念自体が新しいものでは全く無いのです。新しいけど、根本から新しいのではなく、より洗練されるきっかけになったのがポーカーAIの功績(罪?)です。

 

 

実は、ポーカー界には本当に根本から概念を覆すような出来事が2008年から2010年にかけて起こったのです。こちらはAIの出現というレベルを越えたインパクトのある出来事です。

 

2に続く

 

駒場祭、ポーカーと将棋と

駒場祭に行ってきました。主な行き先としては、ポーカー同好会と将棋部。

 

最終日の日曜日だけ天気が良かったというのもあるとは思いますが、どちらもほぼ満席状態でした。

ポーカー界将棋界の風習というか、慣習というか、その差が思いっきり出てて面白かったなあと言うのが最初の感想です。

 

将棋は、100円で1局を部員と指せて、その時にジュースとお菓子(チョコかせんべい)を貰えます。

将棋をちょっと指させて貰って、その時に子どもが欲しがったので、ジュースとせんべいを合計3回貰いました。すると、部員の方が申し訳無さそうな感じで、サービスしてくれようとしてくれました。ありがたい好意ですが、まあ普通にお金を払いましたが。

自分の時代と違うのは、将棋のコーナーに子供連れの親子がたくさんいて、席がいっぱいでちょっと待ってもらうこともしばしばだったのですね。将棋ブームを本当に感じます。対局にかかる時間を考えると、もっと高くても納得が行くのですが、そうしてないのですね。

 

一方のポーカーは、500円で60bb、もしくは500円で50bb+ジュース一杯、という価格設定。小さめのテーブルで4台。

で、4台が全部埋まってました。ポーカーは初心者同士ならどうしても時間がかかるし、50bbで長く遊ぼうと思ったらかなり長く遊べるのですが、でもまあ学祭としてはまあ適正価格かなと自分は思いました。

 

何が言いたいかというと、ポーカーはゲーム性的にもしっかりバリューを取るということが大切なゲームであって、こういう価格設定も上手だなあと思いました。そういうところは非常に好感が持てます。

将棋は、対局が始まったら、部員は一生懸命考えて指してましたが、もっとサクサク指してどんどん指して貰うほうが得だけど、そうじゃなくて真剣にゲームをしたいのですね。自分もOBだから分かります。そういうところが、非常に不器用だなと思います。

もうちょっとお金を取って、その代わりに魅せるという発想もあまりないのですね。自分も現役の部員の頃は無かったしw

 

そしてこの差が、将棋界とポーカー界の差の縮図そのものな気がして、非常に興味深かったのです。

 

将棋って、良くも悪くも本当に将棋が好きで好きでしょうがない人の集まり。ゲームが好きで、儲けとか二の次。これは本当にアマもプロも変わらない。だからプロ棋士も、すごいサービス価格のような感じでイベントに来てくれますし身近。そして、利益を出したりお金を取るということが本当に下手。まあ元々ゲームやってたら幸せという人たちだし、普通のアマチュアからするとどんなに強くなっても全くお金にならないのにやり続けている人の集まりですし。

一方のポーカーが好きな人って、結構お金が好きだったりするし、その先に運がよかったら大金があったり、名声や名誉だったり、そういうのがモチベーションになっている人が多いのかなと思います。

人間としては自然なことだし、それは全く悪いことだと思わないです。そして、そういう人の集まりなので、ビジネス的に将棋よりずっと上手だなと思うのです。

 

 

まとまりがない文章だけど、駒場祭に行って将棋部とポーカー同好会を回った感想でした。

 

年齢と体感時間

「歳を取ったら、体感時間が短くなる」

とはよく言うことで、まあ非常に感覚的には分かります。

以前に

「体感時間は年齢に反比例する。30歳の体感時間は10歳の体感時間の1/3である」

という説を見て、なるほどと思いました。つまり、体感時間は年齢をxとすると、1/xである、と。

で、ふと、体感時間的に人生のどれくらい過ぎたんだろうとふと思ったわけです。ちょっと計算してみたら、なんかすごく面白いことが分かったので書きます。

 

流石に、産まれた瞬間の体感時間はほぼ無限大、とかいい出すとちょっと感覚的にもちょっと変なことになるので、産まれた瞬間でx=1とすることにします。

1/xを積分すると、logxなのですが、

産まれた瞬間はx=1、つまり、logx=0

ではlogx=1となるのは、x=2.7。産まれた瞬間は1歳と計算するので、x=2.7は1.7歳、まあ1歳8,9ヶ月くらい。

logx=2となるのはx=7.4。6歳5ヶ月くらい。

logx=3となるのはx=20。19歳。

logx=4となるのはx=54。53歳。

logx=5となるのはx=148。147歳。

 

もしこの説が正しいのなら、ちょうど

1,「産まれてから1歳9ヶ月」

2,「1歳9ヶ月から小学校入学」

3,「小学校入学から高校卒業」

4,「高校卒業から50代に入った頃」

5,「50代から老衰で死ぬ」

これがほぼ同じくらいの時間感覚となります。

1歳9ヶ月って、色々言葉が増えてくる時期。

たまたまe=2.7倍ずつで区切ったけど、すごくピッタリと色々な人生の区切りになっているのですね。そして、体感的にも分からないではない気がします。小学校入学から高校卒業までって、すごく長かったですから。

 

因みに、自分は今38歳。ここから、2.7倍すると、102歳。まあ実際の寿命くらい。意外と体感時間的に、小学校入学から高校卒業までと同じくらい残ってるわけですね。よく、40歳は第2の人生のスタート、的な言い方をするけど、こうやって残り体感時間で考えるとぴったりなのかもです。