スロープレイについて
スロープレイとは、プレイスピードが遅いことではなく、非常に強い手をコール止めしたりチェックしたりして、後でたくさん稼ごうとするプレイのことです。
例えば、KKを持っていてボタンからレイズ、BBコール。フロップK84r
ベットしても大きく取れないと判断してチェック、的な。
スロープレイで利益が上がる可能性があるのは3つだけです。
1,相手がその後でそこそこのハンドを引いてくれる
2,相手がこちらのハンドの強さを見誤ってくれて、その結果、後でブラフキャッチしてくれる
3,相手がこちらのハンドの強さを見誤ってくれて、その結果、ブラフしてくれる
3つと書いたけど、2と3は被る部分もあります。
で、K84rでこちらがKKを持っている場合。
1の要素は、ターンで相手がセットとか2ペアを引いてくれたり、ターンで8とか4を引いてそれがトリップスになってくれるとかですね。
うん、確率は非常に低いですw
その上、ターンセットはともかく、ターンで2ペアなら、フロップで打ってもコール貰えて、より大きく稼げる可能性が高いです。
結局のところ、スロープレイをしたことで相手のハンドが改善して降りれなくなってこちらにペイして貰える、と言うのは非常に確率が低く、幻想だと言わざるを得ません。
それなら、スロープレイは2と3を目的とするのが良いということになります。
でもですよ、2と3を目的とするなら、セットほどの強いハンドは要らなくて、Kが1枚でも十分だと思いませんか?
それなら、K2sのようなハンドの方が、
・相手のターン以降のブラフを拾いつつ
・キッカー負けしている場合のポットコントロールになる
のです。そう、オリジナルレイザーがトップヒット+弱キッカーでチェックするのは、どっち道フロップから3回打って3回バリューを取りきることは無理(3回コールされたらこちらが負ける方がほとんど)なので、スロープレイとポットコントロールを兼ねてフロップでチェックバックするのです。
別のハンドの例を考えましょう。
COからAcTcでレイズ。ボタンがコール。フロップAhKd5c
ベット7割、ボタンコール。(ここはチェックコールも別のサイズも有力ですが、一応)
ターンQc
トップヒットに、ガットショットとフラドロまで付きました。ついついベットしたくなりますよね?
でもこのハンドでベットして、A9以下がコールしてくれるでしょうか。相手のプリフロップにA9以下は非常に少ないでしょうし、AQやAJには負けてますがそこは降ろせない。KQJTの組み合わせは、KQとJTには負けてて降ろせず、それ以外の組み合わせは相手のアウツが非常に少ないので殆ど怖くないですが、ターンで降ろしてしまう可能性が高い。
それなら、このATccはポットコントロールを兼ねたスロープレイをするのに非常に向いていると思いませんか?
ターンでAAやKKやJTでスロープレイするより、ATccの方がスロープレイに向いているのです。しかし、AAやKKやJTでスロープレイをして、ATccでベットしてしまう人が結構多いと思うのです。
今は少しでも得をしようとする時代です。
スロープレイをすることを考えるなら、ナッツ級のモンスターハンドより、ポットコントロールする価値があるハンドでやる方がずっと良いのです。
大人になるということ
「大人しい」という言葉があるように、大人になると色々行動が落ち着いて、色々なことに興味も薄くなる、のだと自分は子どもの頃思っていました。
そして、実際37歳、アラフォーになって思うのは、大人も実は中身は子どもとそんなに変わらないんだなということです。じゃあ何が変わるかと言うと、
「社会的立場がついてきて、家族が出来たりするので、リスクのある行動が取りづらくなるから、本当はやりたくても出来なくなる」
とよく言われますし、それも大きな要素の一つなのは間違いないですが、もう一つ
「色々なことをやる体力が無くなる→でも、それを(他人にだけじゃなく自分自身にも)認めたくない→「そういうのは卒業したんだ」という態度を取る」
これが若いうちには気づかなかった真実の大部分なんじゃないかなと感じます。
ポーカーをやるようになって、それなりに従業員がいる会社の社長さんたち(殆どは自分で立ち上げた会社)と知り合う機会がそれなりに増えましたが、結構な割合の社長さんは、還暦近くなっても2徹で遊んだりしてるんですよね。仕事が忙しくて遊ぶ暇がないけど、代わりに徹夜して遊ぶ・・・37歳の自分から見てもびっくりです・・・
会社を立ち上げて成功させた人って、創業期は本当にむちゃくちゃな働き方をしてきた人がかなり多いと思うのですが、それを生き残った人たちは異常なくらいの体力があって、還暦近くなっても体力が高いんだと思います。
鍛えられたと言うより、生存バイアス。
20代の頃は分からないけど、体力っていちばん大切な才能のうちの一つだと最近本当に思います。
誤解されやすいポーカー用語:CB
たまにポーカー講習会に講師として呼んで頂くことがあって、直近だとカジノクエストに行きました。
そういう講習会に行くと、結構ブログ記事にしやすいネタが見つかったりするんですよね。
そこで、良くある用語の誤解を一つ。これはツイッターでも見かけます。
CB:コンティニュエーションベットのこと。継続ベット。
一回前のストリート(ターンでのCBにおいてはフロップ、フロップでのCBにおいてはプリフロップ)で最後にベットやレイズをして相手がコールした場合、次のストリートでも継続して行うベット。
例1:Aがボタンからレイズ、BがBBからコール。フロップでBがチェック、Aがベット。このAのベットがCBです。
例2:Aがボタンからレイズ、BがBBからリレイズ(3ベット)、Aからがコール。フロップでBがチェック、Aがベット。このAのベットはCBではありません。もしBがフロップでベットしていたらCBです。
プリフロップでAがボタンからレイズ、BがBBからコール。フロップK83r
Bがチェック、Aがベット。Bがコールとかレイズ。
Bさんが後で
「AさんのベットがCBだと思ったから」
うん、CBです。その通り。でもそれって、Aさんが人間だと思ったから、と同じくらいその通りです。つまり、AがKKを持っていてフロップでベットしてもCBなのです。
つまり、Bさんは
「AさんのCBはブラフだと思ったから」
と言うべきだったのです。
そう、良くある誤解とは、CBはブラフの時しかCBと呼ばない、という誤解です。そうじゃなくて、ナッツを持っていてもCBなのです。
マイノリティーの意見を広く認知してもらうということ
ポーカーというゲーム自体はそれなりに広まってきていますが、未だに
「ポーカーで食っている」
と言うとまず、
「何それ」
から始まります。そして、
「ギャンブルで食べているなんて良くない。もっと世の中の役に立つことをすべき。安定した生活をした方がいいよ」
となります。
自分は、ポーカーというゲームを広く知ってほしいし、ポーカープロという職業も認知して欲しいです。しかし現状では、反対される以前に、そもそも認知がされていない状態なのです。
例えばですが、性的マイノリティーとされるLGBTは10%前後います。
マイノリティーと言いつつ、結構多いんですよね。
しかし、自分のようにゲームで食べている人は、囲碁将棋のプロ、野球やサッカーやゴルフやテニスのプロを広く含めても、全然1%に届かないです。LGBTに続く、PZNと、同じような割合なのかもしれません。聞いたこともない単語だと思うのなら調べてみてください。
これから書こうと思うことは、職業や性に関係なく、ごく一般的なことのつもりです。
基本的に広く一般に受けいれられていると言えない意見は、割合はともかくとして必ず賛否両論出ます。
その時に、否定論者を賛成側にくら替えさせるのは無理とは言わないけど、非常に困難です。だったら議論の価値がないか、というと自分はそう思いません。賛否両論出るものは、むしろ判断を保留している人の方がむしろマジョリティーという事が多いんじゃないでしょうか。そして、賛成同士、賛成と中立、賛成と反対、賛成と反対と中立、色々な立場で議論をして、
「現状判断を保留している人を、賛成側に引き込む」
ことを目指すのが最善じゃないかと自分は信じるのです。
それ以外の、防衛問題にしろ、政治問題にしろ、菜食だったり肉食だったり、教育方針だとか、核とかエネルギー問題。その他の色々な問題に関して、マイノリティー側がついついやってしまいがちだけど、やっては損だと思うのは
「反対の立場の人を、排除しようとすること」
「主張を聞かせる為に、その場の節度を守らないこと」
ではないでしょうか。
さまざまな問題で中立側の立ち位置にいて、非常に思うのが
「今はマイノリティー側であるこの集団(や考え方)がマジョリティーになった時、マイノリティー側の意見の人を弾圧、排除しようとするだろう」
ということです。そうなったら危険であると考えるので、中立側の人を味方に引き入れにくいのです。
「今は意見を聞いてもらえないから無理な方法を取ってでも聞いてもらうけど、マジョリティーになったら穏便にするよ」
と言われても、それを信じるなんて無理なことです。
自分はポーカーのプロとして、自身のゲームの他に普及的なことにも出来る範囲で頑張っているつもりです。
多分、派手なことをしてもっと目立った方が、一時的にはより認知度が上がるでしょう。しかし、そうやって上がった認知度は、認めないという側への認知にもつながります。
一見遠回りに見えても、
「ポーカープロってやくざっぽい印象だけど、実際はちゃんとしてそう」
という認識をゆっくりと時間をかけて持ってもらう。その方が長期的に見て、ポーカープロというものへのプラスの認知が広がるんじゃないでしょうか。
結局、ポーカープロの認知度を上げたいと言うのは、ポーカープロという職業を知ってもらいたいということではなく、ポーカープロを肯定的に捉えてくれる人を増やしたいのですから。
その上で、外から見た業界のイメージを悪化させる可能性が高いにも関わらずそれを貫こうとする人。
その人は、既存の仲間からの高評価を得ることは出来ても(またそういうところからの収入にもつながる)、本来の目的である肯定的に捉えてくれる人を増やすという目的から外れてしまうんじゃないでしょうか。
業界のことを思ってと言うかもしれないし、認知度を上げるためと言うかもしれないし、実際に利己主義じゃなくその通りかもしれないのですが、自分にはこのような行為は独善的で利己主義な行動と、結果としては何も変わらないんじゃないかと感じるのです。
まとめると、肯定的な認知を広めたかったら、その場のマナーを守り、反対の意見全体を必要以上に否定せず(各論客の具体的な誤りは指摘しますし、それは必要内だと思います)、既存の中立や無知識の人がこちらの陣営に好感を持ってもらうように行動する。
ポーカーを広めるに当たって自分がすごく意識していることでもあるし、とても大切なことだと思ってます。
ブラインド以外からのコールドコール
久しぶりに初級向けの戦術の話を。
レークもアンティの無い100bb持ちのNLHEキャッシュゲームを想定します。
誰かがアーリーポジションから3bbにレイズしてきました。
カットオフでQhJsが配られています。どうしますか?
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
これ、いわゆる「正しい」プレーとしては、フォールド以外の選択肢は無いです。特にコールは一番悪いプレーでしょう。
よくハンドレビューとかで
「こういうハンドで参加して、フロップがこうで、ターンでどうしますか?」
と聞かれることがあるのですが、まずこのハンドはこちらがフロップ以降正しくプレーできたとしても、相手がミスしなければ損です。その上、このハンドはこちらが非常にミスをしやすいハンドなのです。
難しいシチュエーションになりやすい=ミスをしやすい、ですね。
難しいシチュエーションになりやすいけど、参加するのが本来は利益的である、というハンドはあります。例えば6マックスのUTGからのAJoとか。
しかし、難しいシチュエーションになりやすいから単にフォールド、としても全然悪くありません。というか、自分は昔は降りてましたし。
均衡解とかGTOとかハンドレンジ表とか、なんでも良いのですが、そこから外れてコールする場合は多くの場合、難しいシチュエーションになりやすいです。
強くないのになんとなく弱いハンドを過剰にプレーしてしまうのは、元々の均衡解上のミスをし、その後プレーミスを重ねることになるのです。
では、どういうハンドでコールするのか。
そもそも、ポーカーというゲームがどういうゲームなのか再確認しましょう。
「最後に一番強い手を作った人がポットを獲得するゲーム」
うーん、それはルールですよね。
そもそもそれだったら、ベットとか要らないですよね。
つまり、強い手を作った人がポットを獲得する、というのは最後に勝者を決める手続きに過ぎず、ポーカーとはどういうゲームなのかという説明にはなっていないのです。
「最後に一番強い手を作った人がポットを獲得するルール」を使って、チップを奪い合うゲーム
というのが正しいのです。そう、本質的な部分は、チップを奪い合うゲームなのです。
ところで、ポーカーは同じ様に点棒を奪い合う麻雀とは違って、降りたらそれ以上チップを失うことはないのが特徴です。
ブラインド以外の人は、フォールドしておけば、得しない代わりに損もしないのです。
つまり、ブラインド以外から参加する以上は、参加したほうが得だから参加する、ということになるのです。
さて、6マックスのUTGからレイズが入りました。自分はボタンでKKが配られたとします。参加したほうが得なのは明らかですよね。
また、非常に強い手なので、できればリレイズしたいです。
そう、非常に強い手は、同じ参加であっても、コールじゃなくリレイズで参加したいのです。
フォールド<コール<リレイズ
なのです。
ところで、コールするという選択肢を選ぶとしたら、
フォールド<リレイズ<コール
か
リレイズ<フォールド<コール
のどちらかであると判断したということになります。
でも、相手はレイズで参加してきていますので結構強い手のはずです。
降りてもチップを失わないのに、リレイズするほど強くなく、コールが正しい、って結構条件として厳しいと思いませんか?
初心者だとついつい広くコールしたくなってしまいます。
でもですよ、
「いいフロップだったらフロップ以降は小さいリスクでそれなりに高い可能性で100bb全部奪い取れる」
というハンドじゃなかったら、フォールドするより得になるのは非常に難しいのです。
最初のQJのハンドを考えて見ましょう。
どういうフロップで相手がどういうハンドをもってたら全部取れるでしょうか。
フロップQQJ、相手AQとかKQ
これ、都合良すぎません?
フロップKT9、相手AAとかAK
これ、本当に全部取れます?こんなボードなら相手警戒しますよね。こんな都合が良くても全部取れないのです。
フロップKT9、相手KKとかTTとか99
いやこれ、確かにオールインにはなるけど、1/3くらい負けますよ・・・
フロップJJ3、相手AAとかKKとかQQ
これも全部は取れないですよね。
フロップQJ3、相手AAとかKKとかAQ
これも全部取れるか怪しいけど、最大取れそうなのはこれ?
そう、本当に都合が良すぎない限り、なかなか全部は取れないですよね。
そもそものハンドで負けている可能性が高い上に、都合が良くても全部取れないのです。
では、67hhなら?
662で相手がAA,KK,QQとか
276でオーバーペア
458でオーバーペア
4h8hJdで突っ込むかターン以降様子見するかの選択肢
3h6d8sでターン以降様子見
うん、QJoよりはオールインで取れるのが現実的な感じがしませんか?
ポジションもあるので、ドローからのターン以降でブラフという選択肢もありそうです。
もちろん、67sはコールで参加すべきだと言っているのではありません。でも、QJoでコール参加するなら、67sの方がマシだと言っているのです。
(ここまで書いてても、木原は67sはコールで参加しろと書いてたとか言われるんだよなあ・・・もちろん67sでリレイズで参加するほうが得な可能性もありますし、やっぱりフォールドが一番無難ですし)
フロップ以降でのオールイン勝ちが現実的にありそうかどうか、ブラインド以外から参加する際の
最低基準!
最低基準!
最低基準!
として考えることをおすすめします。
カジノと依存症
カジノが日本にも出来るかどうかという話題が出ると、ほぼ必ず、依存症との話題がセットになります。
カジノを推進する側と否定する側の議論でよく見るのが
「既に実質のカジノであるパチンコが溢れている状態で、作っても特に変わらない」
「いや、現状でギャンブル依存症がこれだけ深刻なんだから、そこにカジノを作ったらもっと悪いことになる」
というような論調です。
この手の議論を見ていて、自分はいつも思うのです。どっちもズレてるよね、と。
ギャンブル依存症はよく問題になりますが、依存症はギャンブルだけではありません。
合法なものから非合法なものまでたくさんあります。
お酒、タバコ、ゲーム、ドラッグのような、無くても困らないものから、買い物依存症の様に、買い物自体は無くてはならないものながら、ある程度以上依存すると深刻な害をもたらすものまであります。
買い物と同様な依存では、塩分、糖質への依存や、そもそもの食事行為への依存。
それから、人への依存(執着)もあります。ストーカーも同じ括りだと自分は思います。
タイガーウッズがマスターズで14年ぶりに優勝したニュースは非常に良いニュースですが、彼がセックス依存症だと言うことで話題になったのを思い出した人も多いかと思います。
必ず一定の人数、依存症になる人はいます。
たまたまそれがお酒だったりタバコだったりドラッグだったりセックスだったり糖質だったり。
その中の一つとして、ギャンブルもあるのです。
ギャンブル依存症になる人は、仮にギャンブル的なものが無かったらかなりの割合で別のなにかに依存するのであって、問題の根っこはギャンブルがあるかどうかではないのです。
(自分はその研究者ではないので、ソースは?と聞かれても困りますが、あくまで自分の意見として聞いてもらえたらと)
カジノはこれから出来るわけですが、その業者や業界に対して、必要以上に依存症対策を迫られているという感覚があります。
ある程度以上高頻度で通っていたら対策を取らないといけないとか、必要以上に魅力的に表現するなとか。
でもですよ、依存症が問題なのはギャンブルに限ったことではなく、買い物だって同じなわけです。
「必要以上に魅力的に商品を宣伝してはいけない」
「週○回以上日用品以外の買い物に来ている客が居たら、報告を義務付ける」
とかをデパートに課すようなものです。
当然ですが、そういう対策をデパート等は一切取っていません。なのに、なぜカジノ業界だけそれを課されないといけないの?それは不公平じゃないの?と思うのです。
結局、カジノ(パチンコ)に依存するのはカジノが悪いけど、買い物に依存するのは個人の自己責任だ、という主張は自分は一貫性がないと感じます。
結局、依存症になる人は一定人数います。
依存症から脱却出来ていない人は、仮にギャンブル依存症だったのがギャンブル施設に行けなくなったら、お酒とかに依存するのです。逆もまた然り。
カジノが出来ることで依存症の人が増えるとは自分は全く思わないし、むしろ他の業界より依存症対策がしっかりなされている分だけ、そういう人がカジノに来ることで治療を受けることが出来るという事例もかなり出てくるのではないかと思います。
ちなみに、依存の先として、それら以外にも仕事への依存という人もかなりいるかと思います。
他の依存と違う点は、仕事に依存しすぎても、生活が壊れることはないのですよね。仕事しすぎて家庭で不満を持たれて云々はあるかもですが。
よく聞く、
「仕事熱心だった人が突然○○にハマって・・・」
というのは、依存体質で仕事にうまく依存出来ていた人が、仕事がうまく行かなくなったり人間関係で困った際に他のものに依存してしまうのが原因じゃないかなと思います。
正直、将棋のプロ棋士なども、かなり依存体質な人が多い気がします。
依存は言い換えると熱中と同じなわけで、それがたまたまいい方向に向いた、というのではないでしょうか。それは非常に幸運なことだっただけですが、自分はそれこそが依存症対策の一番の突破口になるのではと思います。これからの時代、全員がいわゆる普通の職業につかなくても社会が成り立つわけですから。
ポーカー界に、グレッグマーソンというプロが居ます。
彼は10代後半から薬物依存症になりますが、その後ポーカー依存症と言っていいくらいポーカーに熱中して一気に強くなり、薬物依存症から立ち直ります。それだけだったら単なる依存先が変わっただけですが、彼はポーカーに非常に強い適性がありました。そして2012年に、WSOPの1万ドル6マックスを優勝し、同年にWSOPメインイベントも優勝したのです。特に残り3人になった時は、今までの常識では存在しなかったプレーを使い、他の二人(二人とも若くて強いプロ)は目新しいプレーにうまく対応出来ずに圧倒されるという内容で、歴代のWSOPメインイベントチャンピオンの中でも別格の評価を得ています。
話がそれてしまいましたが、自分はカジノが出来たからと言って依存症が増えるとは思わないです。
依存体質な人が依存先が仕事からカジノになった場合のみ、カジノによる依存症が増加したと言えるでしょうが、それと同等以上の人数が、他の対策が全くされていない依存先からカジノに来ることによって、カジノの依存症対策プログラムで救われると思うのです。
上野千鶴子さんの東大祝辞を読んでの感想
ちょっと時間があったので、話題になった上野千鶴子さんの東大祝辞を読んでみました。
これ、一般的な記事としては、いくつかの正確性の微妙な表現を除けば(そしてそれはこういう話す場ではしょうがないです)良い発言じゃないでしょうか。
もしこれが雑誌の記事だったりすると高評価なのは分かります。
しかしこれ、前半の2/3は、最初から東大への新入生へ向けた発言じゃなく、それをこうやって記事として引用してもらいたいが為の、記事化された先の読者へのメッセージにしか読み取れません。
そして、それなりに話題になって記事として取り上げられてもらえることを計算した上でのこの祝辞であると感じるのです。
後半の1/3は、本当に東大生へのメッセージとして良いものだと思います。
「いままで努力は報われると信じてきたものは環境のおかげだ」
という発言などは結構本質的だと思うし、頑張っても報われない事がある、ということをこれから頑張っていく新入生の祝辞で言うなんて、的な批判もあるけど、むしろそういうことをこの段階で知識として教えておくのは有益だと自分は思います。
しかしだからこそ、TPOをわきまえておらず、明らかにこの場を利用した序盤の2/3の発言が残念でなりません。そうやって議論をしてもらえたこと自体が、上野先生からするとしてやったりくらいに今は思っているでしょう。しかし、彼女の政治的な意見を広める場として東大入学式が「利用された」のであって、発言内容が良いからとこのスピーチを全肯定するのはおかしいと自分は思うのです。
「それくらいしないと社会は変わらないから」
というような擁護はあるかもだけど、だからといって入学式を私用するのは良くないと自分は思うのです。
全く同じスピーチが、仮に有名芸能人の結婚式であったらどうでしょうか。
内容は良くても明らかに場違いだし、結婚式が台無しにされたと感じるでしょう。
それに近いものを感じるのです。
繰り返しますが、この序の2/3の発言は最初から東大生へ向けたものではなく、その後ろの記者と読者に向けたものであったこと。祝辞なので、厳しいことを言うのも含めて内容のすべてが東大新入生への言葉であるべきなのに、あえてTPOをわきまえずに、しかも拡散されやすいことを計算の上で、新入生向けでない発言をしたこと。そこに自分はこのスピーチの場違い感があるし、現地に居た新入生による批判はそれを感じ取ったのだと思います。