トーナメントとキャッシュゲームのプレーの違いと理由
トーナメントとキャッシュゲームではプレーは異なりますよね?
そして、プレーが異なる理由、何ででしょう?
よく聞く答えとして
1、トーナメントは飛んだら終わりなので、オールインをコールするときは慎重に
2、トーナメントは飛んだら終わりなので、相手をカバーしている時はコールを増やし、相手にカバーされてる時はコールを減らす
3、トーナメントは飛んだら終わりなので、カバーしている時はオールインを積極的に仕掛けるし、カバーされてる時は慎重に
4、キャッシュゲームは負けても買い足せるので、相手はプレッシャーを感じてくれないからブラフは厳禁
5、キャッシュゲームは負けても買い足せるので、そこそこ勝つ可能性があれば突っ込んでも良い
6、トーナメントはICM的にバブルファクターがあるから、その分タイトに打たないといけない
ちがああああああああああああああう!
違います、トーナメントとキャッシュゲームで最も違う点、それは
・トーナメント(の序盤以外)はアンティがあって、スタックが少ない
これに尽きます。
ターボじゃない9人テーブルのトーナメントは、SBの1/4くらいのアンティがあり、平均スタックが30bbくらいです。
キャッシュゲームは、50bbなら一番ショートであることが多く、100bbが割と標準。バイインに天井がないところだと、500bbや1000bb持ちの人もそれなりにいます。
100bb持ちのキャッシュゲームを基準に考えることにします。
スタンダードなオープンサイズは、今は3bb。
その状態で、BBだけがコールして、フロップからリバーまで7割ベットをし続けた場合
フロップで6.5bbに対して4.5bb
ターンで15.5bbに対して11bb
リバーで37.5bbに対して26bb
合計で44.5bbをプレーすることになります。これだとオールインになりません。
一方、トーナメントだと、3bbにオープンしてBBがコールするとポットは3+3+0.5+0.125×9で7.625bb。
フロップで7割(5.5bb)打ったら18.6bb
これ、残り21.5bbなので、ターンはもうオールインしても良い金額です。
そう、キャッシュゲームと同じようなベットサイズをすると、アベレージ持ちのスタックでもターンでも自然にオールインになるんです。
でも、せっかく(特に強い手で)ベットするなら、リバーでオールイン判断を突きつけた方が得じゃね?
それなら、プリフロップで2.2bbにしよう。フロップとターンは4割にしよう。
するとリバーを、19bbのポットに、9bb弱を投入した状態で迎える事ができるのです。
ベット機会が多いので、途中で相手を降ろせばポット獲得です。
しかも、ポットに対してかなり小さめの金額をベットしていくので、ブラフの効率が良いです。
この考え方が「スモールボール」というやつですね。
また、一般的にはよく見る誤解1から3のために、途中で降りすぎる人が多いです。
キャッシュゲーム、さらにアンティがある状態で、ボタンが2.2bbにオープンしました。BBだったら、殆どエニーに近いハンドでコール以上しませんか?
でも、トーナメントなら結構降りますよね?
そして、そうやって降りてもらえるなら、小さく打つことは正当化されます。
また、小さく打っても降りてもらえるなら、高頻度で参加することも正当化されるのです。
トーナメントであっても、結局ポーカーはチップを増やすために頑張るゲームなのです。
決して、生き残るゲームではない。
もちろん、入賞直前でショートだったら、チップ的には行かざるを得ないハンドを降りることも出てくるでしょう。BFとかICMとか云々的な要素によって。
でも、多くの人はBFとかICMとかを過大評価しすぎています。
チップが増えてなんぼ、であることは変わりないのです。
戻って。
30bb持ちでアンティがあるキャッシュゲームだと、やはりオープンサイズは100bb持ちのアンティがないゲームより小さくなります。
アンティがないゲームは、スチールするモチベーションが非常に低く、それによってブラインド以外、特にアーリーポジションから参加するならかなり強い手を選ぶことになります。
以前も書きましたが、ポーカーの基本的な原則として、
「頻度が高いなら安く、頻度が低いなら高く」
というのがあります。100bbのアンティなしゲームのアーリーポジションはどうせ強い手しか出てこないので、絞って大きくレイズする訳です。自分は9マックスのUTGなら、オープンする際は4bbの方が良いんじゃないかと思ってます。
しかし、アンティがある30bbゲームだと、たくさん参加することになります。スタックが小さいので、小さいレイズで入ってもリバーでオールインまで届くから、小さめの金額で広く参加することが正しくなるのです。
また、それを受けたブラインド側も、3ベットしたりコールしたりで広くプレーすることになりますし、ある程度のハンドでオールイン勝負が多発することになるのです。
しかし、トーナメントに対する誤解のために、オールイン勝負にならなさすぎです。それは、そのことをよく理解しているプロが、より勝ちやすくなることに繋がるのです。
トーナメントは飛んだら終わりって言うけど、トーナメントで飛んだって別のトーナメントに出たり、キャッシュゲームを打ったりすれば良いだけです。飛んだって良いじゃないですか。
もちろん、トーナメントに出ている時間そのものに価値があると言うのはアマチュアの特権ですし、その価値観は否定しません。しかし、期待値という面だけから見ると、実はみんなが思っている以上に、「飛んだら終わりだから」というプレーの理由付けは間違えているのです。
poker stadium
来年の春に、本格的なノーリミットホールデムがプレー出来るゲームセンターのゲームが初めて登場します。その名前は「poker stadium、ポーカースタジアム」。バンダイナムコからのリリースです。
以前にもテキサスホールデムをプレー出来るゲームがありましたが、そちらはメダルゲームだった上に、特殊なリミットゲームでした。
今回登場するゲームは本格的なノーリミットホールデムです。
https://twitter.com/poker_stadium/status/1057845460432351232
こちらがその公式ツイッターページです。もし興味があればRT&フォローしてください。
このゲームの監修を、自分がやらせてもらっています。
日本のポーカー界を大きく動かすようなプロジェクトの監修に声をかけて頂いて、今までの自分の活動を評価して頂けているのを感じ、非常に嬉しく思います。
さて、このゲームですが、ブラインドが上がらない、リングゲーム形式です。
1プレー200円(予定)で、100-200ブラインド。8000点スタート。アンティはSBと同額の100と非常に大きめの設定にしました。これは自分が強く推した部分です。また、プレーの持ち時間もあり、それがなくなると100円で時間を購入します。
そして、20000点になったらステージクリアで、別のテーブルに移動することになります。その際に、ランクが上がります。当然ですが、ランキングも公表されます。
ステージクリアになった場合は、追加のお金投入は無しで、持ち時間も回復して次のゲームに進む事が出来ます。
このプロジェクト、開発陣が全員、ポーカープレーヤーです。
個人的には、面白いポーカーゲームを作る上で、これは非常に大切なことだと思います。
ポーカープレーヤーとしては、極力ディープスタックでポーカーをやりたい。でもゲームセンターのゲームとしてはある程度収益に繋がらないと困る。それを解消するためにハンド数で区切ってお金を取るとかだと、ゲーム性を壊してしまう。かと言ってトーナメントみたいにブラインドをあげて強制オールインになるようなことはしたくない。
そのバランスを考え、議論し、何度も何度もテストプレーをして、最終的に決まったのがこのシステムです。何よりゲームセンターのゲームなので、タイトに打つことが期待値的に正しいというようなゲームにだけはしてはいけない。それは運営側にとっても、プレーヤー側にとっても良くないことですから。
100-200でアンティ100。この大きなアンティはタイトに打つとジリ貧で負けてしまう、ある程度以上参加しないと負けてしまう、そういうゲームにするには必須であると自分は考えました。
このゲーム、来年(2019年)春から稼働予定ですが、11月10日(土)から11月18日(日)まで、東京池袋のラウンドワンと、大阪のnamco梅田で、ロケテストがあります。稼働前のテストを兼ねた発表会的なものですね。
どちらも、プレーする上で特に条件はありません。当日ふらっとゲームセンターに足を運んでいただければプレー出来ます。
(ロケテストはお祭りみたいで楽しいという意見が複数あったので、自分も告知なしでシレッと参加してみたかったのですが、運営関係者はお金を投入してはいけないとのこと。確かにテストの意味がないですからね。残念w)
では明日からスタートのこのイベント、宜しくおねがいします!
ゲームへの適性:ポーカーや麻雀と、将棋や囲碁
一般的に、人間には様々な向き不向きがあります。
自分が幼少期からどんな英才教育を受けていて、そこに自分自身が夢中になれるくらいの興味があったとしても、絶対に100メートルのオリンピックメダリストには慣れなかったのは間違いないでしょう。
逆に、ウサイン・ボルトがどんなにポーカーに興味を持って真剣にやったとしても、自分はおそらくトータルで彼に負け越すことはないとも思います。100メートルを引退してサッカープロを目指して、早くもプロの試合に出てるので、彼はスポーツ全般に対して大きな適性があるのでしょうが。
自分に関していえば、平均的な人類より、ゲーム全体への適性はかなりある方だったと言えると思います。
ところで、ゲームへの適性と言っても、ゲーム内でも色々な種類の適性があります。
将棋への適性、囲碁への適性、チェス、麻雀、バックギャモン、ポーカー・・・
自分はポーカーのプロで、ポーカーへの適性について感じることが多々あるので、それを書こうと思います。
ポーカーは「不確定不完全情報ゲーム」に分類されます。
平たく言うと、「運が絡み、相手の情報が見えないゲーム」です。
一方、囲碁や将棋は「確定完全情報ゲーム」です。
「運が絡まず、相手の情報がすべて見えているゲーム」
ですね。実は、この観点からみると、囲碁将棋とポーカーは正反対なゲームなのです。
基本的に「確定ゲーム」、つまり、運の要素がないゲームだと、何手先、とかの深読みが出来ます。そして、読んだ先に読み抜けがあって、それが致命的なダメージにつながったりします。
一方、「不確定ゲーム」、運の要素があるゲームだと、深読みは基本的には出来ず、その代り、漠然とした見通しと、大雑把な勝率を確率で認識する能力が要求されます。
「完全情報ゲーム」、相手の情報が見えているゲームだと、その局面を正確に判断する能力が必要となります。将棋だと形勢判断、バックギャモンだと勝率やギャモン率などの確率。
一方、「不完全情報ゲーム」だと、相手の持っている手の組み合わせを漠然と把握し、それに対してどの程度こちらの手が有利/不利か。そして、ゲームの進行によってその手の可能性がどんどん変わっていくので、それを常にアップデートしていく能力が問われます。
トータルでは、囲碁将棋では
「先を(主に一段落する局面まで)正確に読み、その先の局面の形勢判断をする。それを複数読み、それらを比較してどれがより勝ちに近いかを判断する。
その過程で読み抜けがあったら一気に不利になる可能性があるため、正確な読みと形勢判断が必要となる」
一方、ポーカー(麻雀も近いですが)は
「次に何が来るかも分からず、相手の手も分からない。なので正解手とされるプレーも本質的には無い。
そのうえで、相手が持ちうる手の可能性を考え自分の手を考慮した上で、どのプレーが最善かを常に判断し、自分が信じた最善を実行し、踏み出すことが大切」
だと思います。
ポーカーや麻雀は、暗闇の中、信じた方向に突っ走る、そういうある意味無謀なことをゲーム内で躊躇なく出来ないといけない。
囲碁将棋は、明るくよく見える中から、如何に遠くを正確に見通すかが問われる。
囲碁将棋が強いからと言ってポーカーが強いとは限らないし、逆も然り、というわけです。自分は将棋はかなりやりましたが、そこそこまでしか強くならなかったので。
しかし当然、両方に強い適性があることも十分にありえます。
将棋で言うと、
「ちょっと不利な形勢。Aを選ぶとそのままちょっと不利な状況で着いていくことが出来る。Bを選ぶと、9手先に相手の好手があって、それを指されると一気に負けになるけど、対戦相手がその手を見落としていた場合、若干有利な局面に持ち込むことが出来る」
という時、そして、対戦相手がその見落としをする可能性が高いと判断した時。
勝率40%のままで行くか、相手が7割の確率で見落とし、その時60%勝てる。
その時に、躊躇なく後者を選び、対戦相手に好手を気づかれてあっさり負けになった時に、それを引きずらずに諦めることが出来るか。
それが出来る人は、ポーカーや麻雀の適性があると言えると自分は思うのです。
自玉が詰むか詰まないか際どい。若干詰まなさそうに見えるが本当に際どい。
受けたとして、受かるかどうかも分からない。
今なら敵玉には必死をかける事ができる。
持ち時間はない。
そこで何を選択するか。
自分が「詰まなさそうに見える」と思ったなら、それを信じて突っ込む、それが出来る人のほうが、ポーカーに向いているんじゃないかと自分は思うのです。
「頑張ってください」と「頑張りましょう」「頑張ります」
自分は「頑張ってください」という言葉がかなり嫌いです。
「頑張ってください」と言われる立場の人は、大体既に十分すぎるくらいに頑張っているのです。そして、言う方も言われる方も、そのことは百も承知なのです。
なので、言う方は勿論、頑張りが足りないことに言及しているわけでも、実際にそれ以上の頑張りをすることを求めているわけでもなく、単に応援する気持ちの表明として「頑張ってください」と言っているわけです。
勘違いされないように明言すると、「頑張ってください」という言葉を言う人が嫌いなわけでは決してありません。だから言われた時は真の意味と捉えて「ありがとうございます」と返します。
そう、「頑張ってください」という言葉は、表面上はさらに頑張ることを要求する言葉であるにも関わらず、真の意味は「応援していて、良い結果が出ることを祈っています」という言葉なのですよね。その点が非常に言葉として嫌いなのです。
同じく嫌いな言葉に
「なんで勉強しないの!!」
もありますが(当然真の意味は「勉強しなさい」)、表面上の意味と違う真の意味がある言葉は、言葉としてあまり良くないと思うのです。
しかし、「頑張ってください」という言葉には非常に難しい問題があります。
それは、日本語に、「頑張ってください」の真の意味と似た短い表現が難しいんですよね。受験生を会場に送り出す時に、「頑張ってね」という言葉を使わずになんと送り出せば良いのでしょうか。自分は塾の講師時代、相手によって
「リラックスして、試験を楽しんできてね。それが出来たら合格確定だよ!」
(主に成績が良くて受かる可能性が高い子相手)
「今までたくさん勉強してきたんだから、それを信じて力を出し切っておいで」
(本命のちょっと無理気味なところに挑戦する子相手)
などと使い分けてました。しかし、どちらも長い・・・
英語では非常に便利な言葉があります。
good luck
ですね。007などの映画でも良く出てくる、「幸運を祈る」です。すごくいい言葉だと思います。
今では、大人相手の場合は
「応援してます」
(キツい勝負に望む人相手)
「期待してます」
(成功する可能性が高い勝負の場合)
「グッドラック」
(ポーカーや麻雀など、明らかに運が絡む勝負の場合)
と使い分けるようにしてます。
何れにせよ、「頑張って」を使わずに短く表現するのは結構難題で、だからこそ「頑張って」が安易に使われやすいのですが、天の邪鬼な自分には、その安易さが嫌いな点でもあるのです。
一方、他の人に応援された時に
「頑張ります」
と言うのはすごく自然なことだと思います。
頑張るのは自分なわけで、そこまで頑張ってきたけどそのまま頑張るというのは極めて自然です。また、複数人数で行う作業に於いて
「頑張りましょう」
と言うのも自然だと思います。
そう、頑張るという言葉は、頑張ってない人を叱咤する以外では
「I」や「We」が主語になるべき言葉であって、「You」を主語にすべきではない自分は思うのです。
「期待してます」や「応援してます」だと、こちらが勝手に期待や応援をしていることを表明するだけであって、相手に何かを求めているわけではなく、それが言葉として心地よいんです。
繰り返しになりますが、
「頑張ってください」
という言葉を言う人が嫌いなわけではありません。単なる価値観の問題として、自分は使わないようにしていると言うだけです。ただ、この価値観に共感してくれる人がいれば、それはそれで嬉しいです。
悪の論理、感想
先日、友人のとつげき東北さんから、出版した本の献本を頂きました。
その感想です。多少のネタバレがあるので、気になる方は本を読んだ後に記事を読んでください。
とつさんからは、過激な内容だと聞いていたのですが、読んだ感じは全然過激な感じはしませんでした。むしろ、炎上しないようにかなり守った表現をしているなあと思ったくらいですw
前半は、とつさんが、全く論理的じゃない内容の議論を仕掛けて来る人を論破するという内容。
とつさんの論理構造、非常にしっかりしてます。論理的に考えるとはどういうこと?と言われて、ピンと来ない方には非常に為になるんじゃないかなと思います。
論理とは、
「元の議論が正しいとした時に、絶対に正しいと言い切れることを積み重ねて論を組み立てること」
です。
で、多くの人が勘違いしていると自分が勝手に思うのは、前提のもとでは絶対に正しいと言い切れることしか言えないため、殆どの場合、正しい論理的思考の先には、強い断言は出来ないのです。また、殆どの場合、論理思考の前には、共有すべき前提(=仮定)を必要とします。
しかし、論理的ではない議論をしたがる人は、結論ありき(往々にしてその結論は過激な内容)で、その結論を相手に認めさせようと話を展開していこうとするのですが、正しく論理的な議論だとそういうことは大体困難です。
その、相手の論理のどこにほころびがあるのか、それをとつさんが突いていくというのがスタートです。
とつさんは、間違えた方向に進めようとする論理を、ほんのタイトルでもある「悪の論理」と呼んでますが、自分からしたら、悪の論理と言うより、稚拙な論理、くらいの感覚です。ただ、相手の論理が正しいと仮定するとこんな結論(大体到底認められないもの)になるよ、というのを利用するのは悪の論理と呼んで良いのかなとは思います。
まあ、ここらへんは売れるためのキャッチーなタイトル的なゴニョゴニョ
最初、論破相手の論理はもっと際どく難しいものを用意するのかと思ってましたが、論理思考に慣れない人でも読みやすくすることを思ってか、相手の論理の破綻は非常に見えやすい例を選んだと感じます。なので、論理といいつつ、かなり読みやすく、どういうのが間違えた論理なのか分かりやすいと思います。
その後、とつさん自身の思考や価値観を論理を交えて語ってます。
個人的には論理的な考え方は共通ですが、とつさんとはそこの価値観が結構違っていて、読みながら
「ああ、良くも悪くもとつさんらしいなw」
と感じてました。ただ、本を出版するにはある一定数以上の字数が必要で、そのためにゴニョゴニョ
で、最後にとつさんが一番書きたかった2つが来ます。1つ目は
「ボタンを押したら誰かが死ぬけど1万円貰える。罪には問われないし絶対ばれない。ボタンは押す?押さない?押すなら何回?」
というツイッターでのアンケートを踏まえた論が出ます。
そして、その結果に対する考察があるのですが、とつさん的にはこれの正解は一つしかないようです。
しかし、そこが自分の価値観というか、そもそもの前提が全く異なることかなと思いました。
自分は
「ボタンを押したら1回当たり1万円貰えて、それ以外の影響はない。好きな回数それを押す事ができる。そのボタンを押しますか?」
という質問であっても、押さないと答えます。
自分は、自分自身の人生の幸福を最大化することが個人が目指すべきことだ、という信念があります。これは自分にとって、数学の「公理」と同じです。ただし、これは数値化も出来ないです。
で、押したらお金が出てくるボタンが存在すると、日本で平和に暮らせている人のうち9割以上は、人生の幸福は減少する、と考えてます。自分自身も、そこまで強い人間であるとは思ってなくて、そういうものがない方が幸せだと思います。そんなボタンが手元にない状態ならこう言いますが、そんなものが本当に目の前にあったら、それを海に投げ捨てることが出来るかどうか怪しいとも思いますが・・・
他に数値化出来るものがないとはいえ、「お金の増加=無条件に幸福が増加」という前提がとつさんにはあるものの(そう仮定しないと議論にならないというのもありますがw)、自分はその大前提に同意ができないので結論も異なるものになるのです。
最後に、
「殺人はなぜ悪か」
というメイントピックの二つ目が来ます。
自分はこれ、
「なぜ殺人は悪いことと法律や道徳でみなすようになったのか」
ということを問うているのだと思ってて、それに対する自分なりの答えもあるのですが、とつさんの解答は、自分的には
「え?それだけ?」
というものでした。ただ、それについては当たり前過ぎるように感じるものの、特にギャンブルやカジノ関連の議論でも広く応用出来る解答でもあって、絶対に間違いにならない、という意味では非常に論理的な解答かなと感じました。
あちらこちらにとつさんの価値観(=前提条件)が散りばめられていますが、論理構造は本当にしっかりしてます。興味があれば読んであげてください!
オッズが良い、とは
UTGが3bbにオープン。
UTG+1がコール。
HJがコール。
COがコール。
ボタンがコール。
SBがコール。
ここでBBが
「こんなにたくさんコールがいたらオッズが良すぎてエニハンでコールしないといけないぜ!」
と言いながらコール。
こういうシーン、よく見ませんか?
アンティがないゲームだとして、誰もコールがいなかったら、6.5bbのポットに2bbの投資で参加するのに対して、コールがこれだけいる状態なら、21bbのポットに2bbの投資で参加することになります。その数字だけ見ると確かに
「オッズは良い」
と言えるかもです。
仮にUTGと1対1で46でコールしたとして、フロップ459と落ちたら、それなりに勝っている可能性は高いでしょう。もちろん負けている可能性も十分にありますが。
一方、7人テーブルで46でフロップ459なら、ほぼ勝っていることはないでしょう。
そもそも44のボトムセットを持っていても、150bbくらい持ってたら不安になるくらいですよね。
フロップが467なら?
2ペアですが、ストレート、セット、上2ペア等ありすぎて、100bbを7人テーブルで突っ込むのはこれですらかなり躊躇してしまいます。ベットしてレイズされてオールインして相手にコールされたら、ほぼ負けているでしょう。
一方、相手がUTGだけなら100bbは余裕で突っ込むところです。
一般的に「オッズ」とだけ一言で言いますが、こういうカタカナ言葉は思考を間違えた方向に導いてしまうことが多々あります。
こんな7人フロップでポジションが無いところからブラフをしていこうというのは無謀すぎるわけで、実際はモンスターハンドを引き当ててのバリューベットと、強いドローでのセミブラフくらいしかベット出来ないところだとは思います。
そういう状態では、ベストハンドを作る(もしくはドローから頑張る)しかポットを取る方法はありません。
ところで、21bbポットに参加するために2bbを投資するのは、10.5回に1回投資を回収する必要があります。
しかし、7人参加のフロップで46oで参加してフロップでベストハンドの可能性が高いと思う事ができるフロップに巡り合うのは本当に10.5回に1回あるのでしょうか。
そう、見た目のオッズ(21対2)は良いのですが、ベストハンドを作るオッズは21対2を超えるのはかなり難しいのです。
一方、UTGがオープンして、こちらがBBで46oでコールしたとします。
6.5bbに対して2bbの投資です。
フロップでベストハンドを作るオッズは30%必要。これの方がまだ現実的だと思いませんか?
もちろん、フロップ以降にポジションを取られてプレーされてしまう分を考えると、実際はコールは悪いプレーです。それでも、7人ポットにノコノコとオッズがいいと言いながら46oのようなハンドで参加するよりずっとマシだと自分は思います。
つまり、たくさん参加者がいる時の弱いハンドは
1、ポットオッズは確かに良い
2、しかし、ベストハンドを作るオッズはそれ以上に悪い
3、なので、オッズは合わない
のです。オッズが良いかどうかとオッズが合うかどうかは別物で、プレーする際はオッズが「良い」かどうかではなく、「合う」かどうかで判断しないといけないのです。
宝くじは、300円で3億円が狙えるとすると、100万倍の良いオッズがあります。
しかし、宝くじに大当たりするオッズはそれ以上にめちゃくちゃ悪いので、オッズは全く合わないのです。
うつ病九段
先崎先生著
「うつ病九段」
読みました。
自分はうつ病で薬を処方して貰ってるという人を何人か知ってます(自分が知っている人は躁鬱病が多かった)し、それなりにうつ病に対して知識はあったつもりです。
やる気とかの次元ではなく、本当に身体が動かなくなるというのは知識では知ってました。そして、その方向に関しては自分の想像の範囲内ではあったのですが。
少しネタバレになってしまいますが、先崎先生が
「簡単な7手詰めの詰将棋が解けなくなっていた」
とあったのが一番の衝撃でした。
プロ棋士にとって7手詰めが解けないというのは、一般の人が13+8が解けなくなった、というようなものです。うつ病によって人間の能力が多少落ちるのは分かってましたが、まさかここまでとは知らなかったです。あまりに衝撃を受けました。
もちろんある程度以上重い方の症状なのは間違いありません。
それでも、先崎先生は1年弱で概ね回復するくらいでもまたあったわけです。お兄さんが優秀な精神科医だったり、家計を心配する必要なしに十分な治療が受けられる環境だったのが幸いしたのも間違いないでしょうが。
「うつ病は心の病気ではなく、脳の病気である」
と本でもありましたし、よく聞くことでもあります。
この例から、本当に脳に直接的なダメージがある病気なのだとすごく納得がいく、そしてうつ病を少しだけまた理解出来た気がします。まさに、足を骨折した状態で走ることを強要されるようなものでしょうか。そして、足を骨折することは誰にでも起こり得る・・・
とても色々考えさせられる本でした。
「うつ病は甘えだ!」と今でも心のすみに思っている方、是非一度読んで見てください。羽生さんと同世代でありながら、羽生さん以上の天才と言われ、将棋だけじゃなく文才にも恵まれ、傍から見たらうつ病にかかるとは想像もつかないような先崎先生のありのままの苦悩が描かれてます。